クローバーひろくんを救う会 ひろくん
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最近のひろくん

平成25年1月6日
「新年のご挨拶」

 また、新しい年を家族で迎えることができました。
 当たり前のように時間は流れていくけれど、その流れていく時間を家族がここに存在して共有できるということは、決して当たり前ではないのですよね。
 それは、やはり大きな大きな幸福だと思います。
 人生には、ままならないこともどうにもならないことも、多くありますが、今年も当たり前ではないこの奇跡のような幸福を抱きしめながら、乗り越えて行こうと思います。
宏典も、お陰様で元気に新年を迎えてくれました。たくさんの人に支えられ、守られ、こうして元気で過ごせることをいつの日か、彼自身がしっかりと見つめていく日がくることでしょう。
宏典の今の夢は、「飛行機や新幹線を作る人!」それか「お菓子をつくる人!」なのだそうです。とても迷うらしく、昨日は、「ママならどっちを選ぶ?」と聞いてきました 笑。
 勉強は、ちょっと面倒くさがる宏典ですが、何かを創る作業は大好きなようです。
 まだまだ、わがままも多く、ママの独占欲も強い宏典ですが、お兄ちゃん二人にもまれ守られながら、元気に成長していってくれたらと思っています。

 ブログでの近況報告の間隔があくようになってきましたが、時折覗いていただき、宏典の成長を見守っていただけたらと思います。

 皆様にとって、よい一年となりますように。

平成24年10月19日
「9歳の誕生日」

 10月2日、宏典は9歳の誕生日を迎えることができました。3本のローソクを立てることも難しいと言われた宏典が今こうして9本のローソクを立てることができた命の奇跡を今年も喜びの中に抱きしめることができました。

 沢山の方々の善意と祈りに守られ、ドナー家族の愛とドナーの子と共に生きる宏典は今、とても嬉しそうに毎日を生きています。

 体を動かすことが大好きで、最近はグローブを握りしめ壁にボール当てをしたり、お兄ちゃん達の仲間に入れてもらって草野球を楽しんだり。お誕生祝いに贈っていただいたバスケットボールがとても嬉しかったようで、毎日一人でドリブルの練習。
日光や接触プレーなどに配慮のいる宏典に合うスポーツを今、探しているところです。

 同級生のお友達も増え、学校でも担任の先生から「大きな声が出るようになりました。」と言っていただき、学校生活の充実がうかがえます。親としては、それがとても嬉しくほっとしているところでもあります。

 将来は、「物作り屋さんになりたい!」のだそうです。ホームセンターや100円ショップで材料を集め、自分で作ることが大好き。金づちととんかちを上手につかっては何やら創り出します。作り始めるとこちらが手を出してはダメ!全部自分でやるのだと夢中で制作します。これまでにつくったものは、水鉄砲の攻撃よけの盾、鍵付き宝箱、ものを運ぶ台車などなど....制作に困った時には、おじいちゃんに助け船を頼みます。おじいちゃんと二人制作する姿は、本当に嬉しい光景です。

 ここまで、順調に成長してくれている宏典です。これからも、毎月の外来、毎日のお薬、年1回のカテーテルの検査入院はあるけれど、その体と心をしっかりと支えて行こうと思います。

 今もなお、こうしてホームページを見てくださる皆様に、心から感謝申し上げます。皆様の温かい見守りに支えられて宏典は8歳になることができました。ホームページでの報告も、間隔をずいぶんとあけての報告になりましたが、皆様への感謝が私たちの中で変わることはありません。これからも、どうぞ、温かい見守りをよろしくお願い致します。

平成24年4月6日
「さくら」

 今年も、また桜の時期を迎えました。
 桜の花を見ると、あのアメリカの病院の中庭に咲く桜の花をいつも思い出します。
 手術を無事に乗り切り、なかった時間を生きている宏典が歩く練習をしたあの中庭には、日本の桜を愛するアメリカ人が植えた桜の木が何本かありました。
 中庭に咲く桜の花を愛でながら、日本の桜をおもったのは、5年前...「もう一度、宏典と日本に帰って、日本の桜を見ることができるんだな...」と思ったら、なんだか泣けてきたのを覚えています。
 病室での作業療法士のリハビリを泣いて大抵抗していた宏典も、中庭では、芝生の感触を楽しんだり、足で踏んだ小枝のパキンと割れる音を喜んだり、自分から積極に歩こうとしていました。私に手をひかれながら、よちよちに歩いていた宏典は、この春から3年生を迎えます。
 身長も、伸び、現在は126cmになりました。だいぶ、お兄ちゃんになってきたなと思う部分と、相変わらずの甘えん坊の部分と、宏典の成長を眩しく見つめています。
 一時、行き渋りを見せた小学校も、同級生のお友達の名前が登場するようになってからは、学校生活が楽しくなったようで、いい表情を見せてくれるようになりました。

 2月23日には、ドナーの冥福を小花を捧げて祈り、3月には、1年に一度のカテーテルの検査入院を乗り切りました。

 さあ、宏典の新しい1年の学校生活がはじまります。ありがたいありがたい日々の積み重ね...彼は、奇跡の生の時間を生きる男の子。どんなときも、どんなことがあっても、寄り添い、愛し育てて行こうと思います。

平成24年1月9日
「新年を迎えて」

 今年も新しい年を家族そろって迎えることができました。

 去年1年は、宏典も感染症にかかる回数も本当に少なく過ごせ、体力がずいぶんとついてきたのだなあと実感できる1年となりました。毎月の大阪での外来受診では、BNPの上昇や、腎機能、肝機能の数値に気を配りましたが、それ以上の悪化はなく、ほっとしています。
 免疫抑制剤を飲み続ける限りは、これらの数値とのにらめっこは、ずっと続きますが、それでもこうして元気に過ごさせてもらえていることに、やはり感謝が溢れます。

 12月、1月、2月は、5年前の募金活動、渡米、移植手術のあった私たち家族にとっては、感慨深い時期です。5年目を無事に迎えさせていただき、これだけの時間が経過したのですが、あの時間は忘れられない時間として今も鮮明に私たちの心に残ります。

 今年もまた1年、無事に乗り切っていけるように、宏典の体の管理に手を抜くことなく、その成長をサポートしていきたいと思います。

 今もなお、こうしてホームページを気にしてくださる皆様に心からの感謝とお礼を申し上げたいと思います。皆様の温かい見守りの力を受けながら、宏典は、今日も元気に過ごしています。ありがとうございます。皆様にとりましても、今年一年、愛降り注ぐ年となりますように...心穏やかに過ごせる年となりますように...心よりお祈りしております。


「金毘羅さんのお参り」

 四国の金毘羅さんに、お参りに行く機会をいただきました。
1368段の階段を上り、お参りをする金毘羅さん。家族全員で杖を借りて、のぼります。私と主人は、宏典を途中おんぶすることを覚悟してのぼりました。階段の両脇には、たくさんのお土産屋さんのお店が囲み、「お土産は帰り道でよ〜」といいながら、ゆっくりゆっくり店の出先に並ぶお土産品を楽しみながらのぼりました。1368段....気の遠くなるような階段を多くの参拝の方たちとともにのぼります。
 金毘羅さんをのぼりはじめる前、私たち夫婦は、「家族全員でのぼりきろう。宏典がきつくなったら、二人でおぶってあがろう。」と話していましたが、私は、そうしてのぼる金毘羅さんに自分たちの親としての子育ての期間を思っていました。3人の子供たちが金毘羅さんにたどり着けるように、励ましながら、そして時には背負いながら、あがりきるということに親の務めを重ね合わせていました。
 おんぶを覚悟していた私たちでしたが、宏典をおぶったのはほんの少し。父親に手を引かれながら、最後まで自分の足でのぼり切りました。
 私たちの驚きとこみあげてくる嬉しさは格別のものでした。
 金毘羅さんにお参りをすませ、金色のお守りを家族分買い、下山しました。
 降りて食べた讃岐のおうどんが、とてもおいしかったです。

 1368段あった階段も下から見上げれば、途方もなく困難な道に見えましたが、目の前の階段を一段一段のぼっていけば、やがて気づけば金毘羅さんにたどり着いていました。 こうやって、目の前の人生の階段を一歩ずつのぼっていけばいいんだと、心に強く刻むことのできた金毘羅さんのお参りでした。

平成23年11月19日
「「頑張れ命」の曲」

 先日、兄二人と車で移動中に、兄が曲を選曲していたとき、闘病中に毎日聴いていたモンキーラビットのお二人に宏典のために作っていただいた「頑張れ命」という曲がかかった。運転していた私もとても久しぶりに聴いたので、「あ〜これ、ひろくんの曲じゃね〜!!」とお兄ちゃんにこの曲を流してくれるように頼んだ。
 「ひろくん、これ毎日聴いとったんよね〜」「おさるさんのお兄ちゃんと、うさぎさんのお兄ちゃんがつくってくれたんよね〜」「思い出すね〜あの時、ひろくん本当によく頑張ったね〜」と私が話すと宏典は、しばらく曲を聴いて、「この曲、悲しくなるんよね〜」とポツリ...
 そして、曲が終わると、「もう一回」「もう一回」と三回続けて外の景色を眺めながら、黙って聴いた。
 「悲しくなる...」というのは、多分「切なくなる」気持ちをいいたかったのだと思う。私自身が、この曲を聴くとやはり、胸がキュ〜っと切なくなるそれと似た気持ちなのだろう。 あの辛い時間、毎日聴いていたこの曲。モンキーラビットのお二人が映像を通して語りかける言葉に「聴いてるよ〜」「届いてるよ〜」とDVDプレイヤーに向かって手を振っていた...。

 曲の歌詞に「一人じゃないから〜♪ みんながそばにいるから〜♪ 一人にはしないから〜♪ ずっとみんながそばにいるから〜♪」という言葉に何度も何度も励まされ、勇気をもらった。

 今、改めて、この曲を作り贈ってくださったモンキーラビットのお二人に心からの感謝をここに贈りたいと思います。お二人の曲に支えられた宏典は、今8歳という命の時間を過ごしています。ありがたい命です。これからも、人の心に届く曲を作り続けてください。


「次から次へと」

 3歳まで家や病院のベッドの上で過ごした宏典は、術後の経過観察期間を含めると4歳前まで、生活の経験やお友達との経験がとても乏しい。それまでに経験の中から覚えていくことが、ぱっくりと経験が落ちているため、今、いろいろな経験の中から学ぶことが多い。だから、まだまだ同級生のお友達との関わりが不器用だったり、してはならないこともしてみたり、叱られることは自分が嫌いなんだという図式が拭えなかったり、自分の気持ちを言葉にできなかったり.....とても不器用でマイペースで、そして甘えん坊な男の子だ。手を焼く男の子 笑。
 だけど、それは贅沢な嬉しい悲鳴...宏典のペースでゆっくりと成長していってくれたら、それでいい。一つ一つ、階段を上がるように、宏典のペースで成長していこうね。成長できることは、嬉しいこと。手を焼かれるのは、親の幸せ。そして、悪さをして謝りにいくのも、親の幸せ....かな?
 最近、次から次へと「え〜 すみません!」「ご迷惑かけました」などとお詫びすることが増えている気がするが、親として、じっくりと宏典の成長に寄り添っていこうと思う。

平成23年10月4日
「運動会」

 9月18日は、小学校の運動会でした。
 マルモダンスに徒競争、障害走。そして、応援合戦....この日のために新学期から少しずつ練習を頑張っていたのですが、その週の水曜日から発熱と嘔吐、そして下痢の症状.... 最近熱が出た時には、高く40度近くを出してしまう。この時も、はじめの2日間は熱が高かったので、今年の運動会は残念だけど、難しいかな....と言っていました。土曜日から熱も下がり、食事もとれ出し、元気が出てきたので、当日はせっかく練習してきていたので、開閉会式は児童席で参加種目だけ出る形で、調子が悪ければすぐに連れて帰ろうということで、母親が様子を見ながら参加することになりました。途中までかなと思っていましたが、最後まで参加することができ、夜は熱が出ることも覚悟していましたが、やりきった気持ちがあったためか、発熱することなく過ごすことができました。本当に随分と、強くなってきたものです。
 徒競争を懸命に走る宏典。応援合戦で一生懸命ボンボンを振る宏典。こけるとつい遠くから見ていても「あっ!!」と声を出してしまう。どの姿も眩しくて、愛しくて、ありがたくて。
 宏典、今年も運動会に参加できて、よかったね。嬉しいね。
 あなたがここにこうして生きていてくれることの奇跡に、その命を支えてくださった多くの方に心からの感謝をおくりたいと思います。


「8歳のお誕生日」

 10月2日は、宏典の8歳のお誕生日でした。
 今年は、日曜日にあたったため、両親とも仕事をお休みにし、近くにあるとても小さな遊園地に連れて行きました。
 小さいとはいえ、宏典にとっては、生まれてはじめての遊園地です。
 なんと、一番初めにチャレンジしたのはジェットコースター。もう30年近く前からあるジェットコースターなので、距離も短いものですがしっかり落差とカーブあり!私も、これくらいならと挑戦したのですが、しっかりと絶叫!でした。「どうだった?」と聞くと「すごく恐かったけど、死ぬほど恐くはなかった」そうです。モノレールに、メリーゴーランド、観覧車に地底探検....楽しい時間はあっという間に過ぎてゆきました。
 こうして、親も心から楽しめる時間を過ごせたのは、何年ぶりでしょう。
 帰る時間となり、出口に向かおうとすると、一人座って粘る人が....宏典です。
 どうしても、もう一度、メリーゴーランドに乗りたいのだと....私と二人少しだけ戻り、もう一度メリーゴーランドに貸し切り状態(古い小さな遊園地なので人があまりいないのです)で乗り、ご満悦の帰宅となりました。
 夜は、バースデーケーキに8本のローソクを立て、皆でお祝いをしました。
 3本のローソクを立てたあの日から、5本もローソクが増えました。
 夜眠るとき、「天使ちゃん(ドナー)にも、ありがとうを伝えようね」といつものご挨拶。

 「天使ちゃん、今日もありがとう。おやすみ!」

 宏典、8歳の誕生日を私たちに見せてくれて、ありがとうね。これからも、一つ一つローソクを増やしていこうね!

平成23年8月11日
「空手のけいこ」

 7月からお兄ちゃん達と宏典は、空手を習い始めました。
 主治医に報告すると、「空手ですか...まあ、今のレベルくらいなら大丈夫でしょうが。」と少し渋い返事。
 宏典は、免疫抑制剤と血液が固まりにくくする薬を飲んでいるので、内出血等、気をつけなければならない。今の初歩的な稽古は大丈夫だけれど、本気になって取り組んで上達すれば、それ以上、空手に取り組むことが困難となる時もくるかもしれない。その時になって、我慢させるのは酷な話....一瞬迷いながらも、先のことをあれこれ心配することはやめようと何度も言い聞かせた言葉を思い起こし、今、本人がやる!と言っているのだったら、取り組ませてやろうと、空手を習わせることを決めました。
 闘病中、仮面ライダーが大好きで、いつもベッドの上で観たいた仮面ライダーのDVD。お兄ちゃん達との取っ組み合いのじゃれ合いも、自然と上手に抑え込む。格闘技が、どうも大好きなようです。だから、空手の稽古は、他のどの場面でもみたことのない真剣な表情で、懸命にお兄ちゃん達についていきます。
 その真剣さに、見ているこちらは、本人に気づかれないように思わず笑ってしまいます。まだ、はじめたばかりですが、これから少しずつ上達していくのを楽しみにしたいと思います。
 こうして、空手をするようになるなんて....この奇跡の時間をこれからも、しっかりと守って行きたいと思います。


「三男坊のきかん坊で甘えん坊」

 宏典は、我が家の三人兄弟の末っ子。1歳から闘病し、危険な状態が長くその時間は、できるだけ本人の気持ちを叶えてやろうと周囲が努めていたため、やはり自分本位なところが残る。
 自分の気持ちを言葉を使って表現することが苦手というかその不器用さが残り、お兄ちゃんたちと遊びたい時も、「一緒に遊ぼう!」ではなく、ちょっとしたチョッカイからはじまり、やり過ぎてはお兄ちゃんに怒られる。
 言葉を使って表現すること、相手が嫌がることをやりすぎないこと、あいさつをきちんとすること、ごめんねやありがとうを伝えること.....毎日、毎日、根気強く言い続けている。
 宏典が同級生の子供たちと、そして周りの人たちとよい関わり合いがこれからしっかりできるように、私たちと宏典の根競べの時期に入りました。闘病の時期から何年かたち、今、しっかり人として身につけてほしい大切な事を一つ一つ、伝えているところです。
 我が家は、夏休みに入り、3人息子に加え、お友達たち(男の子ばかり)でいつも賑わって、小さな小学校のよう(ちょっと大げさかな)!お兄ちゃん達のお友達の中にちゃっかりと入り込み、皆で寝そべりながら、ゲームをしたりじゃれあったり....なんとも平和な光景に、いつもいつも心で手を合わせます。
「この時間をありがとうございます。」
「この幸せをありがとうございます。」
「この子たちの笑顔がずっと続きますように。この子たちの幸せがずっと守られますように。」
 夏の暑い中、くっつかなきゃいいのに、足や手や体のどこかの部分を互いにくっつけているお友達を含めた子供らの姿が、愛しくてしょうがありません。
「みんなわかる?こうして、過ごせることは当たり前のことではなくて、軌跡のようにありがたいことなんだよ。そのことに気づいていてね。」

平成23年6月3日

  「一ヶ月に一度の大阪」

 宏典は、帰国後、毎月大阪に行く。お世話になっている阪大病院での外来受診をするためです。朝早くの採血があるために日曜日からの前泊となる。
 この頃は、ずいぶんとお兄ちゃんとなり、新幹線の中の過ごし方も、地下鉄、モノレールの乗り継ぎも、歩くことや切符等の購入もスムーズにできるようになったが、はじめのころは本当に大変だった。自宅を出て、新山口駅まで車で1時間半。新山口駅から新大阪まで、2時間。その後、ホテルまで、地下鉄とモノレールを乗り継いで1時間。車の中で寝てしまうと、新幹線の中は眠くないので、2時間じっと座っていることが苦痛となる。あの手この手で2時間を乗り切っていた。帰国後すぐのまだ体力もついていない頃は、歩くことをいやがるので、抱っこをしたりキャリーバックにしがみつかせて引っ張って歩いたり、大仕事だった。
 月曜日が受診日で、血液検査、心電図、レントゲン、外科、内科とまわる。血液検査は、さすがにあれだけのことを乗り切ってきた子だけあって、一度も泣いたことはない。時々、血管からうまく血液が抜けない看護師さんや医師にあたると2回目までは許すが、3回目は絶対にその人には血液をとらせない。長く闘病してきている子たちは、我慢もしてくれるがそれを超えた時には、とても厳しい。心電図、血液検査とスムーズにまわり、その後、外科と内科の主治医の内診を受ける。その待ち時間が大学病院だけあっていつも長く、じっと待たなければならないので苦痛に変わり、ぐずることが多々あった。やっとすべての受診が終わり、岐路につくのだが、いつもここで、注意しなければならないことが ある。いつも疲れてしまっているので、地下鉄の30分弱のここちよい揺れが宏典の眠気を誘う。眠ってしまったら大変!大きなキャリーバックと眠った宏典を抱いて降りることは、困難を極めるので、この時間を寝かさないようにするのが本当にひと苦労である。眠りそうなので二人で立つと立ったまま眠ってしまったこともある。そして、いつも滑り込みで乗り込む新幹線は、これまでに何度か、数分間に合わず出発してしまい、次の便までの1時間を駅で過ごす。そして、2時間新幹線に揺られ、その中でかなり遅い昼食をとり、新山口駅まで。新山口から、また車で1時間半...やっとこさ家にたどり着くころには、辺りは暗い....こういうことを毎月毎月行っている。
 宏典の体の管理。しっかりした管理があってこその健康状態の維持である。毎月の大阪は、本当に大変だけれど、ずっと入院していた時間を思うとなんのその。「それでも家に帰れるなんて幸せなこと...」と、毎月のこの行事をこなしている。
 毎月、大阪に行きしっかりと管理すれば、家族と過ごせる、学校に行ける、家に帰れる....毎月の大仕事だけれどそれでもありがたいとおもうことができることは、幸せなことかもしれない。


「ママは、ひろくんよりも先に死んだらいけん!」

ヒロ 「ママって死ぬん?」
ママ 「生きているものはね、いつかは死ぬんよ。」
ヒロ 「ママは、ひろくんより先に死んだらいけんほよ!」
ママ 「なんで?ママが先に死んで、ひろくんが死ぬ時は迎えにくるんよ。親より先に子供が死んだらいけんのよ〜」
ヒロ 「ダメ!絶対にママが先に死んだらいけんほ!死ぬ時はひろくんが先なほ!」
ママ 「ひろくんが死んだら、ママ生きていけんわ〜ね〜 ひろくんと○○と○○は、ママの命なんだから。」
ヒロ 「じゃあ、ママが死んだらひろくんも死ぬ。絶対に死ぬ。」
ママ 「ママは、ママが死んでもひろくんたちにはずっと幸せに長く生きてほしいと思うよ。ママの分も長生きしてくれなきゃ。ずっとそばで見守ってるから大丈夫よ!」
ヒロ 「ダメ!ダメ!ダメ!ひろくんが死んでもママは生きとかんにゃ〜いけんほ!!」

 ある日のやりとりです。時々、宏典から飛び出す「先に死ぬ」という言葉。これまで経験してきたことの後遺症なのか、いつも少しそんな不安を抱えているのか...宏典が安心して自分の生を謳歌していけるように、私たちはいつもそっと寄り添っていてあげたいと思います。
 親が子供よりも先に逝く。この当然の順番が変わることほど、親にとっての大きく深い悲しみはないでしょう。親としての何よりもの願い...祈り....
 今日も、この命を抱きしめ、寄り添い、守り、生きて行きます。今日の命への感謝と共に。

 悲しまない(56.3KB)

平成23年4月25日

  「担任の先生とのお別れ」

 大変、お世話になった1年生の担任の先生と校長先生が転勤となり、心細く感じていましたが、無事に2年生のスタートを切ることができました。転勤された担任の先生と校長先生には、本当に何から何まで心遣いをいただき、不安でいっぱいだった小学校生活のスタートを本当にうまくサポートいただきました。養護の先生と連携し、感染症についても細かい連絡を取り合わせていただき、昨年度の宏典は、大きな感染症にかかることなく1年を過ごしました。実は、こんなことは初めてでした。
 毎年、感染症の季節には、何回か罹患し、高熱や嘔吐を繰り返していました。本人の体力もついてきたのでしょうが、学校側の細かなご配慮により、こうして厳しい感染症にかかることもなく乗り切れたのだと感謝が絶えません。
 3月に入り、学校でインフルエンザB型が一気に流行ってしまったため、宏典は2週間以上学校をお休みしなければなりませんでしたが、お兄ちゃんがインフルエンザに罹患したにも関わらず、おかげで本人はこのインフルエンザにも罹患することなくのりきることができました。インフルエンザの流行で、修了式、離任式とも出席することのできなかった宏典でしたが、別の日に担任の先生に修了式をしていただき、担任の先生とのお別れをしました。
 宏典のマラソンのゴールには目を潤ませ、私とのお話にも二人で目を潤ませ、そして、温かく厳しく、大きな大きな愛を持って子供たちを育て引っ張り上げてくださった担任の先生。先生との出会いで、どれほど私たちの不安が小さくなったことでしょう。全てを任せ、お預けしておけば大丈夫と感じさせてくださった先生。本当にお世話になりました。そして、ありがとうございました。先生のこれからのご活躍を心からお祈りしたいと思います。そして、少し離れた位置からいつも、温かい眼差しを送り続けてくださった校長先生。校長先生の「大丈夫ですよ。」の温かい声かけにどれほど、肩の力を抜くことができたことでしょう。教職を勤めあげられた校長先生、本当にお疲れ様でした。途中で、教職を退いた私にとって、その職を勤めあげられた校長先生は、眩しいばかりです。


「ピカピカの2年生」

 4月8日から、宏典の2年生がスタートしました。宏典の学年は1クラスのため、クラス替えはありません。担任だけが変わります。新しい担任の先生は、2人の子供さんを持たれるお母さん先生。母親の目で、見守りまた引き上げてくださるのではと、またよい出会いをいただきました。
 1年生の時は、5月にBNP(心臓にかかる負担を示す数値)が少し高くなったので、歩いての登校は控えて、車での登下校でした。BNPの数値も落ち着いているため、今年は歩いて登校です。お向かいのお家の1年生になったお友達とお兄ちゃん達と一緒に、登校します。朝の準備は、まだまだ手のかかる宏典ですが、いつかは 全て自分自身でできるのでしょう。彼のペースでゆっくり成長してくれればいいかなと、呑気に構える母親です。とはいえ、朝は大戦争!寝起きの悪い宏典を起こすのに毎日ひと苦労です。男の子3人の我が家は、せっついてせっついてやっとこさ準備も身なりも整う始末。それでも、家を送りだし、並ぶランドセルを見送るときは 、本当にありがたくて幸せな気持ちになります。ここにこの子たちがいてくれる。ここに生きていてくれる。それだけで、もう私の心は充分すぎるほどの幸せを感じます。

今日も、ここにいてくれてありがとう。
今日も、ここに生きていてくれてありがとう。
生まれてきてくれて、本当にありがとう。


僕のお母さん(56.1KB)
僕の嬉しい(46.3KB)

平成23年3月15日

  「検査入院」
 
 1年に一度のカテーテルの検査無事に終わりました。去年は、少し心配な結果がありましたが、今年は異常なしの結果をいただき安堵しています。
 今年の宏典は、またまたお兄ちゃんになったなあという成長した場面をいくつか見せてくれました。カテ後の安静の6時間は、時計を握りしめ、DVDを観ながら、ずっと動かずに過ごしました。あれだけ、大暴れして泣いていた子が。そして、プレイルームでは、宏典はいろいろな設計士さんでした。ブロッ クで新幹線をつくり、マットでトンネルや滑り台をつくり....宏典よりも小さな子供たちが、喜んで持っていったり、使ったりしたのですが、取り返したりすることなく、譲るのです。我が家ではお兄ちゃん達に譲ってもらってばかりの末っ子が、自分より小さな子でも、ダメだと言うかなと見ていたのですが、全くその素振り もありませんでした。
 そして、何よりも、闘病の子供たちが私の周りに集まり遊んでいても、私を取り返しにこないのです。家に、お客さんがあって私がその方に気持ちを向けているだけでも、長くは許さないのに....いろいろなびっくりがありました。
 かつての自分の姿がその闘病の子供たちへのおおらかさにつながったのでしょうか...いつの間にか、しっかりお兄ちゃんができるようになったのかな。

 1年に1度のこの検査入院は、沢山の闘病の子供たちとそのお母さんたちと出会う時間です。私たち家族にとっては、そこでの出会いでまた新しい気づきをいただき、命の尊さやありがたさを再認識し、そして、そこにいる闘う小さな命たちが愛しくて愛しくて。思わず、心の中で手を合わせてその子供たちの 幸せを祈らずにはいられないのです。どの闘病の子供たちも、沢山の周囲の愛に包まれますように。祈りに支えられますように。


「ひろくんの花はガーベラ」

 宏典は、小花が大好き。よく外から小花を摘んできては、コップにいけたりしています。園芸屋さんに寄れば、「ひろくん これ植える!」とお気に入りの花の苗を選んでもってきます。私のお財布を考えて、奉仕品の中から笑。選ぶ花は、ガーベラ。黄色のガーベラが大好き。そういえば、宏典の好きな花 は、タンポポにガーベラにヒマワリ。みんな似た花です。太陽のようにエネルギッシュな元気の出るお花。そんなお花が好き。手術を終えたニューヨークでアパート生活に入った時、近くのセントラルパークにリハビリ代わりに通ったとき、いつもたくさん摘んでいたのはタンポポの花。しんなりしてしまったタンポポをお水にさして元気になったのを何度も喜んだっけ。
最近は、自分で花壇に植えたり、鉢に植えたり...そして、必ずその時には手を出すことを許さず、一人でやります。そして、自分で植えたものは特に大切にしています。
このまま、ずっと、お花を愛する男の子でいてほしいものです。


「移植手術から丸4年」

 2月23日で、移植手術から丸4年がたちました。今年もまた、宏典と小花を摘み、ろうそくに火を灯し、写真立ての天使ちゃんのイラストに捧げました。同じ日に移植手術となり亡くなってしまったアメリカの男の子ショーンの写真にも。  2月23日は、私たちにとってはとても大切な日。今ある命を抱きしめその命に感謝し、ドナーの子とショーンの冥福を祈る特別な日。今年も、無事にこの日を迎えることができました。
 この4月から、宏典は、2年生へと進級します。沢山の方の見守りの中、大きなトラブルもなく、今をこうして生きる宏典。すべてがありがたく、全てに感謝の日々。幸せを感知するラインのとても低い私たちは、家族がここにいるだけで幸せを感じ、こうして何事もなく過ごすことのできることがどれほどあ りがたいことなのか。この一日一日を積み重ね、抱きしめて、未来につながっていけばと思っています。  今日の日まで、見守り続けてくださる皆さん、本当にありがとうございます。皆さんの見守りのお陰で、宏典は今日も元気です。
「ママ、ありがとう」(71KB)

平成23年2月3日

  「1月23日」

 4年前の今日、私は宏典を抱いて、沢山の方の祈りに支えられて、日本を飛び立ちました。二度と宏典を抱いて戻れないかもしれない宏典の祖国日本。宏典にとって、最後となるかもしれない日本。必死で、そんな不安をかき消し、「いいえ、絶対に私は元気になった宏典を抱いて、またこの国に戻ってくる!」と決意を固 めた飛行機の中。
 あれから、もう4年の月日が経ったなんて...帰国してからも、免疫抑制剤を飲む宏典のからだの管理に必死だった。闘病が長く、様々な生活の経験やお友達との関わりのない宏典が同年代の子供たちの中に馴染んでいけるまで、見守り支えて行くのに必死だった。デイケアサービスで、温かい受け入れがあった。ドキド キで通った普通保育園でも、先生方とお友達の優しい受け入れがあった。お友達の誰もいない小学校への入学。全てを理解し見守り引き上げてくださる先生方の見守りと、そこにもやはり優しい子供たちに恵まれた。沢山の人たちの優しさと見守りの中、時には周りに迷惑もかけながら、宏典は渡米から4年目の今日を迎えたんだ。
 宏典の病気がわかってから、帰国するまで、私は知らないうちに年齢を重ねていた。その間、どうやって歳を重ね生きてきたのか、時間の経過の感覚がない。まるで時間がワープしたような感じ。そして、渡米の日から、4年....この4年もまた、時間がワープしたようにあっという間に感じる。一日一日を必死で歩いてきた。一年一年をありがたく積みあげてきて今がある。
 当時、3歳だった宏典は、7歳となり、その命を懸命に輝かせてここに生きてくれています。ドナーの子と共に。夜眠る前の「天使ちゃん、今日もありがとう。おやすみ。」の宏典からドナーの子へのあいさつは、今も続き、私たちはふたつの紡ぎ合った命を抱きしめています。


「ママは、辛くないよね。」
「ママは、ひろくんのことどれくらい好き?」

 学校に、命を伝える講演に行き、届いた子供たちからの感想を読んでいた。子供たちには、いつも感想などは見せないのだが、その時は、机の上に読みかけて置いており、宏典が覗きこんだ。「...ひろみさんは、とてもつらかったのだと思いました。ひろくんが元気になってうれしいです....」という文章を目にし た宏典。私を背中から抱きしめて、「ママは、つらくないよね...」と私の顔を覗き込んだ。心配そうなその顔に、慌てて、「うん!ママは全然つらくないよ〜。ひろくんたちがいてくれて、すっごい幸せよ〜」「ひろくんも、前はつらかったけど、今は、毎日うれしいでしょ。それとおんなじ!」 前はつらかったけど、今は....という言葉を聞いて、ごまかされていないことを知り、宏典は笑ってくれた。
 宏典は、本当に時々、ドキッとすることを言う。これまでも、近況報告で何回か紹介してきたけれど、あの闘病中に沢山のことを感じ、今も、自分の体にいろいろなことを感じているのだろう。
 2月の終わりに1年に1回の検査入院が入る。カテーテル検査というちょっと辛い検査もあることを宏典は知っている。宏典に検査入院のことを告げると、「入院するんじゃろ....知っとるよ。」と、さらっと答える。嫌な入院のはずなのに、これまでダダをこねたことはない。息子ながら、すごいな〜と思うほど、そ のことをよく理解しており覚悟もできている。それがこれまで、どれだけのことを乗り越えてきたのかを物語っている気がする。ミラクルボーイ宏典。あなたのミラクルは、あなたのその強さが生んだこともママは知っているよ。
 この頃、「ママは、ひろくんのこと、どれくらい好き?」と何度も聞いてくる。そのたびに「宇宙の果ての果ての果てま〜で好きよ。」と答える。宏典の強さを支えるものは、多分、周りからの愛なのでしょう。成長するにつれて、大きな不安に押しつぶされないよう私たち親にできることは、沢山の愛を注ぎ続けることか もしれません。

〜詩の紹介〜
 宏典の闘病中、病室で感じたことを書きとめていたノートがあります。それは、入院している子供たちの心の声であったり、闘病の子供を守るお母さんたちへのエールであり、その中から、今日は2つ選んで紹介したいと思います。

「もしも病気にならなかったら」(74KB)
「あなたがいるだけで」(61KB)

平成22年12月26日

  「マラソン大会」
 先日、小学校のマラソン大会がありました。宏典たち1年生は、800M。マラソンの練習に入ってから、風邪をひいてお休みが続いたので、練習も足りていなかったのですが、当日はなんとか参加することができました。前の前の日まで、体調がすぐれずお休みしていた宏典。それでも、マラソン大会は出たいといい、担 任の先生と私たち親が心配しながら見守る中、しっかりと800m走り切りました。両腕をしっかりと走るフォームで両脇をしめ、足のあがりは悪いですが、小股だけど、しっかりと走っています。800mの間、一度も足をとめず、走り切りました。親は、マラソンを走れるその姿にずっと感動し、呼吸をしていないかのような表 情の走りにずっとヒヤヒヤし、沢山の感謝に胸はいっぱいで...最後、その姿がグラウンドに見えたときには、大声で、宏典の名を叫んでいました。おかげで、ビデオの中の宏典は、ぐちゃぐちゃ。
 これまで、かけっこはずっとびりっけつを守ってきた宏典の後ろには、お友達が二人。「ぼく、最後じゃなかったよ。」とばかりにこちらを向き、その顔はとても誇らしげでした。
 私は、学校をお休みにしていた間に宏典がつくった応援の旗を「必ず持ってきてね!」と言われ、その旗もふりふり、ビデオもとり、大声で叫び....親ばか丸出しでした。ちなみにその応援旗に書かれていたのは、「がんばれ3入!(人と書きたかったよう)」「おうい!ママだよ〜!」「1位長男の名 2位次男の名  3位ひろのり」「これぜんぶがんばるぞ〜 ふんが〜!!」などの言葉と絵でした。
 走り終わった後の宏典の状態が気になり、1年生のいるところに行きましたが、呼吸も脈も落ち着き、笑顔。そこにいた担任の先生とウルウル。この日は、はじめてマラソンを完走した特別記念日となりました。


「2010年の終わりに」
 2010年が無事に終わろうとしています。今年も、何度かの感染症はありましたが大事にいたることなく、乗り切り、大きなトラブルもなく過ごすことができました。こうして、無事に1年の最後の月に家族がそろっていること、そして、家族揃って新しい年を迎えることができることは、このうえない喜びです。この尊 い命が今日ここにあること、私たちは皆こうして生かされていること、明日の命を心配せずに過ごせること、ご飯が食べれること、家で過ごせること、兄弟げんかができること、親としてそれを見つめることができること、呼吸が苦しくないこと、痛みのないこと.....すべてのことがありがたく嬉しい。そして、今日も、この 時間を病気の子供たちや大人たちは、そうではない闘いの時間を過ごしていること。私たちにその時間があったこと。その時間を忘れることは決してありません。だからこそ、今日というこの一日がこうして平和に過ごせることに感謝が溢れるのでしょう。
 2010年は、宏典にとっては、小学校生活のスタートの年でした。沢山の挑戦や学びがありました。まだまだ、友達との関わりも活動も未熟な宏典ですが、それでも周囲の見守りや励ましの中、経験を重ね、それが小さな自信となり、少しずつ自分自身を出せるようになってきているようです。
「いいよ。宏典のペースで。ゆっくりゆっくり大切なことを覚えていこうね。」  周りの子供たちと比較しがちになる我が子の成長を、自分の中の指標をもって見つめることは、意外と難しいのですが、根気強くじっくりと向き合っていきたいと思います。
 新しい年も、こうして一歩一歩歩いて行けますように。こうして読んでくださる皆さんにとっての新しい年が、温かい光に包まれていますように。世界が平和でありますように。2010年にたくさんのありがとうの気持ちを込めて。

平成22年11月17日

  「参観日」
 先日、小学校の参観日がありました。性教育参観日で、宏典たち1年生は「男の子 女の子〜自分も友達も大事〜」という授業で、男の子と女の子のからだの違いをまずみんなで知り、認め合うところからはじまりました。
「男の子のからだにあって、女の子のからだにないもの、女の子のからだにあって男の子のからだに ないものはなあに?」の先生からの質問に、一年生は、大盛り上がり。キャッキャッといいながら、「おっぱい〜」「おちんちん」などなど、大笑いしながら、嬉しそうに発言しています。宏典もその笑いの渦の中にしっかりと入り、大笑い。時々、照れ隠しをしながらも、ちらちらと後ろにいる私に目配せをしながら、口に両手を あてて少し恥ずかしそうだけれど、嬉しそう。1年生になった宏典ですが、まだまだおっぱいは大好き。泣いた後、寂しかった後、自然に手がのびてきます。闘病のあの苦しい時間、もうでなくなったおっぱいを必死に探し、口にふくむことで、安心して眠っていた宏典。苦しさを紛らす特効薬であった母親のおっぱい。どうやら、 今も彼にとっての精神安定剤はおっぱいのようです。
一年生にとって、大喜びのこの授業。途中から、お兄ちゃんたちの授業を参観にまわったので、全ては見ていませんが男の子と女の子のからだをきちんと知り、お互いを大切に過ごすための大切の授業となったようです。とびきりの笑顔と大きな笑い声、一年生の教室全体がその生命力で本当に輝いているようでした。担任の 先生の一人一人を大切にされている様子がよく見え、やりとりの中に子供たちの先生大好き!の気持ちが沢山伝わってきました。その中に、居させてもらえる宏典は、幸せ者です。 


「コックさん」
 宏典が唯一すすんでするお手伝いが、調理です。お料理がとても大好き。いつも、野菜を切る担当です。
この日は、鉄板で焼き肉をすることになりました。宏典、長男、私は食事を済ませ、次男が一人がこの日は少年野球で遅く帰ってきました。その次男のそばに座り、野菜をのせ、お肉をのせ、お世話するのは宏典。いつ も、みんなにお世話されてばかりの末っ子宏典が誰かのお世話をする姿は、とても珍しく、私は、なんだか嬉しくなり、宏典に任せて黙ってその光景を見守ることにしました。
野菜、お肉とバランス良く焼いていきます。最後の一枚まで、しっかりとお世話できました。こんな一面があることをはじめて知り、「宏典の将来は、コックさんかしら?」なんて、一人ニマニマとしてしまいました。
 ちなみにたま〜に洗濯物を干すお手伝いもしてくれるのですが、二段のたこのあしの洗濯ほしに、下から投げかけ!洗濯物はよれよれのまま、ひかかっています。これでは、洗濯物は乾きません。「ひろくんの干し方は、これでええんよ!」だそうです。お兄ちゃん達と一生懸命干してくれた洗濯物をもう一度しわを伸ばし て干しかえる時、なんともいえない幸せな気持ちになります。この瞬間を本当にありがとう。どんな瞬間にも、気づけば感謝は溢れてくるものなのだな〜と、またまた一人でニマニマ。大変な生活の中にも、こうして幸せはふとしたところから作り出せる。幸せとは、与えられるものではなく、自分の心が作り出すものなのでしょう ね。今日も、小さな幸せを沢山すくいあげられますように。

平成22年10月8日
「運動会」
 小学校に入学して、初めての運動会がありました。今年は、暑さが厳しく2学期はじまってすぐの運動会練習に、どこまでついていけるか心配をしていましたが、先生方のご配慮に支えられて、練習もしっかりとこなしていました。
 家に帰ると、ダンスを披露してくれたり、応援練習の様子を違う色の兄二人の誘導尋問にしっかりとのせられて、秘密の応援の内容を全て暴露してしまったり...楽しそうに運動会の練習に取り組んでいる様子が伝わってきていました。
 ところが、本番の週のはじめから、熱が出始め、最後の週は、1日だけの登校で、前日もお休みすることになってしまいました。当日、参加できるのか、最後までやりきれるのか、ハラ ハラしましたが本番当日は、元気いっぱい。開会式から、閉会式まで休むことなく参加しました。気分を悪くして運ばれる児童もいるなか、最後までしっかりと立っている宏典に感動していました。
 かけっこ、一生懸命の力走でビリ。障害走もしかして1位?の3位。ダンス、お尻を振りまくってノリノリ。応援合戦、一著前にボンボン振って男らしく。玉入れ、「一番に入ったのはひろくん!」らしい。  全ての種目をこなし、その夜も熱も出ることなく、運動会の暑い一日は終わりました。ありがとうがいっぱいの一日でした。


「7歳のお誕生日」
 10月2日。宏典は、7歳になりました。3歳のお誕生日を迎えることはないと言われた宏典の、7回目のお誕生日。この日は、バタバタと忙しくしていたため、夕方近くになって誕生日ケーキを取りにいったとき、私のお誕生日のスイッチが入りました。
 ケーキ屋さんにケーキを取りにいく道のりに、いろいろな思いが込み上げます。自然に目頭が熱くなり、「人に見られたらなんでこの人目を赤くして...と思われちゃうな〜」と人と目を合わせないようにケーキ屋さんへ。7歳のバースデーケーキをケーキ屋さんに「ひろくん、もう7歳なのですね。おめでとうございます。」と言っていただき、とうとう涙。
 バースデーケーキに歳の数のローソクを今年も立てることができました。1つずつ歳を重ねていくわが子の誕生日を祝える幸せ。親としてこの上ない幸せなのだと思います。一つ一つ大切に歳を重ね、今年は7本。こうして、来年も再来年も1本ずつローソクを増やし、火を灯していけますように。火を灯すことのできる幸 せにいつも気がついて行けますように。
 朝起きて、宏典にかけた言葉。「ひろくん、今日まで元気に成長してくれてありがとう。ママの子供に生まれてくれてありがとうね。7歳、おめでとう!」 その言葉のお返しは、「ひろくんね〜ママ大好きなんよ。ママがええんよ。」何歳まで言ってくれるのかはわかりませんが、今は、この言葉にたくさんのエネルギーをもらいながら、しんどいことを乗り切っていこうと思います。
 そして、いつも、見守ってくださっている皆さん、宏典はお陰さまで7歳になりました。皆さんが心のエールを送り続けてくださっているお陰で、見えない力に守られ、宏典は今日も生の時間を輝かせています。男3兄弟の末っ子で、甘えん坊のやんちゃさんですが、嬉しそうに笑う顔はいつも眩しいくらいに輝いています 。子供たちの笑顔をこれからもしっかりと守っていきたいと思います。

平成22年9月2日

  「夏休み」
 小学校に入学して、初めての夏休みでした。海に山に川に、今年は自然に親しみながらよく遊びました。海に行けば、怖いもの知らずの宏典は、沖に向かって浮きわで泳ぎ、危うく戻れなくなったり....山に行けば、斜面に造られた手作りのブランコにのり、両手を離してキャッキャッと喜び、川に行けば、お兄ちゃん 達について、果敢に沢登り....見ているこちらは、ヒヤヒヤ、オロオロ。なんでもかんでも、お兄ちゃん達と同じことをしたい宏典。制約をかけると全身で抵抗し、何が何でもやってみる!
活発で、好奇心旺盛で恐いもの知らずの宏典を制約を加えながら管理することが、かなり厳しくなってきました。本人の自覚のないものから、身を守るための制約....感染症や体調を崩さないための制約なのですが、本人は、これをしたら手を切るとか、足が痛くなったとか、そういう目に見える形のものを予防する制約 ではなく、それをすると起こりうるかもしれないことに対しての制約は、意欲を抑えて我慢に至るまでの効力はなく、段々と納得させることに手を焼いています。
 そんな中、彼は、この夏、沢山のことにチャレンジし、しっかり日焼けもし、すり傷もつくり、川に落ちるなどのアクシデントもおこし、そのやんちゃぶりを存分に発揮してくれ、こちらはヨレヨレです。そんな夏休みでしたが、お陰さまで、二度の嘔吐をしてしまいましたが、発熱もせず、大きなトラブルもなく、終える ことができました。
 森を訪れた際の木工教室では、木切れを使い、カブトムシやクワガタ、長い長い滑り台等を制作しました。2時間近く黙々と作り続け、宏典がこんなに集中して夢中でつくり続けるものがあるのかと感心しました。子供たちにとっては、大変充実した夏休みとなりました。が、お兄ちゃんたちは31日まで、宿題を頑張るはめ になりました。


「ひろくん、いつ死ぬん?」
 最近、よく口にする言葉。病気の子のドラマを見たせいなのか、そんな言葉が口をつく。
「いつ死ぬかなんて、誰にもわからんのよ。ママだって、ママがいつ死ぬかなんてわからんの。だけど、まあ、ママはあと50年くらい、ひろくんは100年くらい生きるやろうね。」と、当たり前のように返してあげると、ニコッと笑っ て、ちょっと安心した顔をする。そういう質問を投げかけて、私の反応を見ているのだろう。成長とともに、自分の身に起きたこと、自分のからだのこと、お薬を毎日飲み続けなければならないこと、お兄ちゃん達とは違う制約があることなどが、具体的に少しずつ、自分に見え始めているのかな。。。 宏典は、闘病中のころから ポツリポツリと核心に迫る質問というか、つぶやきをする。こちらが、ドキッとするようなものも中にはある。けれど、いつも、動揺を見せずにそれに対する答えを宏典にわかりやすい言葉で探す。
 宏典は、そのいただいた運命を、彼自身の足で進んでいかなければならない。これから、もっともっと多くいろいろな疑問やどうしていいかわからない気持ちや、自分の生について、他の子よりも多く考えていくことになるだろう。その気持ちをきっと私たちにぶつけてくる。どんなときも、まっすぐに向き合い、しっかりと 答えてやれる親でありたい。彼が自分の命に誇りを持ち、胸を張って生きて行けるように、その命の歴史に押しつぶされることのないように、時にはクッションになり時には踏み台となり、共に乗り越えていきたいと思う。
 この世に生を受けた人は、誰でもその生の最期の時を迎える。その時まで、その生を精いっぱい生ききること、どんな人でもそうやって与えられた生を生ききることが大切で尊いことなんだということを、私の出会った小さな戦士達(闘病の子供たち)は教えてくれた。そのことを私たち自身が心に刻み、そして、子供たち にもしっかりと伝えていきたいと思う。

平成22年7月20日

  「プールの許可」
 これまで宏典は、感染症の心配から、プールの許可がおりていなかった。保育園でも、みんながプールに入っているときには、一人園の中で違う活動をしていて、なんとも寂しそうだったが、今年は、やっと主治医からプールに入ってよいとの許可が出た。宏典は、もちろん大喜び!口をつけない(プールの水を飲んではい けない)という約束のもと、日焼けも考慮して長袖の水着の上着も来て、今年初めて小プールに入った。 もう、嬉しくて嬉しくてしょうがない。曇りの日など、唇も青くブルブル震えても、一向にあがろうとしないので、無理やりあげて保温する始末....
 出来るようになったことに取り組む時、宏典の顔は、一段と輝きます。出来なかったことだらけの生活から、少しずつ出来ることが増えていき、出来なかった時をしっているからこそ、その顔は益々輝く。
 プールの中の宏典の表情を嬉しく見つめながら、ドナーの子と共に生きるその命の輝きが眩しいばかりでした。ドナーの子「天使ちゃん」、あなたも一緒にプール楽しんでくれたかな。いつも、いつも共にいてくれてありがとう。


「再会」
 先日、移植手術に臨んだニューヨークでお世話になった方が、私たちの住んでいる近くの西長門のホテルに2泊で遊びに来られた。この方は、闘病の宏典に付き添う私たちの体を心配して、私と母に体のマッサージを何度かボランティアでしてくださった方。はじめてマッサージをしていただいたのは、確か、移植手術が終わり、容態も安定した頃、宏典の部屋とは別室に移らされ、宏典の管理をはじめて離れたその時に。自分の体のことなど、気にも留めずに我武者羅に闘い続けていた私に「ま〜ズブズブね。。。」と、心も体も癒していただいた。
 そんな方との再会は、本当に嬉しいものでした。成長した宏典を目を細めて見てくださるその方の心に触れ、当時も今も、こうして宏典の元気な姿を心から喜んでくださる方々にどれほど支えられてきたのだろう....と、今更ながら、感謝の気持ちが溢れました。
 息子さんに西長門のこの美しい海を見せたいと滞在され、山口県はあいにくの大雨で、十分な海の美しさは堪能できなかったかもしれませんが、それでも、「ここにまだまだいたい」とおっしゃってくださいました。再来年の再会をまた約束して、そのご家族とお別れしました。本当に嬉しい嬉しい再会でした。

平成22年6月15日

  「ひろくんのお花」
 ニューヨークのコロンビア病院を退院して、半年ほど経過観察のためアパート生活をしていた頃、リハビリ代わりに毎日通ったセントラルパークで、宏典が大好きだった花があります。
 それは、たんぽぽ。たんぽぽの黄色の花を沢山摘み、べビカーで握りしめてのって、たんぽぽの綿毛を吹きながら帰る。それが、半分宏典の日課の一つのようになっていました。
 アパートに戻ると、握りしめて少ししんなりとしてしまったたんぽぽを水切りし、そしてガラスの瓶にいける。あの頃から、黄色の花が大好きでした。そして、日本に帰国してから、次に大好きになったのは、黄色のガーベラ。やはりたんぽぽの花を大きくしたような花です。ガーベラをいただいたとき、いろいろな色のガーベラの花の中から、黄色を抜き、牛乳瓶にお水を入れ、子供部屋の自分の机の上に飾っていました。「これ、ひろくんの花やけ〜 とったらいけんよ!」と、私にくぎをさし、翌日も学校から帰ったらちゃんと置いてあるかチェック!そして、祖母と買い物に出かけ、買ってきた花の苗。黄色の小さなダリアでした。やはり、選んだのは黄色のたんぽぽにどことなく似たお花。どうやら、宏典の大好きなお花はすべて、黄色でたんぽぽに似たお花のようです。
 たんぽぽの花言葉は、神のお告げ・愛の神託・真心の愛などがあるようです。
 真心を大切に、そしてたんぽぽのように太陽向かっていつも顔をあげて、成長していってほしいなと思います。


 「参観日」
 宏典の2回目の参観日がありました。今回1年生は、親子でドッジビーという、やわらかいフリスビーをつかったドッジボールのようなものを楽しみました。体育館に入ると準備体操を目をキラキラと嬉しそうに行っている宏典がいました。保護者がくるということで、とても嬉しそうです。お友達との関わりが心配だった のですが、お友達に抱きついてみたり、楽しそうにやりとりしていたり、その姿を見て、ほっとしました。同じ学年にお友達が一人もいなかった宏典ですが、少しずつお友達ができているようです。ドッジビーでは、はじめみんなの中に紛れて逃げていた宏典ですが、中盤から、積極的にキャッチしたり、投げたり.....時には 、お友達がくれたのを代わりに投げたり。なかなか活発に楽しそうに活動していました。体力の遅れも心配していましたが、今日の様子を見た限りでは、そんなに心配しなくても大丈夫なようです。周りの温かい見守りの中、宏典は確実に成長してくれています。
 当たり前のように過ごしがちな毎日ですが、わたしたちにとっては、これは当たり前ではなく、すべてが幸せな奇跡の時間です。こうして過ごすことができること、こうして子供たちの嬉しそうな姿を見ることができること、こうして家族が共にあること、今日という一日、明日という一日に、ここに生かされている自分た ちがいることに心からの感謝をもちながら、過ごしていきたいと思います。今日、命があることは、どんな命も、実は奇跡的なことなのかもしれません。それに気がついたとき、限りある生の時間を限りがあるからこそ、もっと豊かにもっと濃く、感謝の気持ちとともに生きて行くようになるのかもしれません。

平成22年5月6日

  「小学校入学式」
 4月8日は、宏典の入学式でした。ぶかぶかの制服に身を包み、お気に入りのマリンブルーのランドセルを肩からずり落ちそうになりながらかるい、黄色の安全帽子をかぶり、ちょっとお兄ちゃんの顔に見える宏典でした。朝、制服に着替えていると、「学校に行くのがこわい...」とポツリと言いました。緊張からくる言葉でした。
 「大丈夫よ。お兄ちゃんたちもいるんだから。」の言葉に背中を押されながら、準備を整え、学校に到着。顔は少しこわばらせながら校門をくぐります。うわぐつに履き替え、1年生のクラスに。まだ、見知らぬ同級生たちの中で、やはりまだ不安顔。自分の席についても、神妙な面持ちで辺りを見渡しています。時々、後ろにいる私たちに目をやり、その存在を確認しながら。
 そして、入学式がはじまりました。出席番号順に2番目の入場です。お兄ちゃんと目があったのか、にやけた顔で嬉しそうに入ってた姿を見て、ほっとしました。自分の席に座り、いよいよ呼名です。1番目の女の子が、とても大きな声で返事ができました。さあ、宏典の番です。うまく返事ができないのではないかと、気を もんでいた私たちの心配を見事に裏切り、大きな声で「はい!」の挨拶。立派でした。上級生との対面の挨拶では、顔なじみのお兄ちゃんのお友達をみつけ、しっかり笑顔。緊張もほどけ、入学式は無事に終わりました。
 こうして、入学の日を迎え、制服に身を包む宏典の姿....入場してくる姿に目頭が熱くなりました。今、奇跡の時間を生きる息子、宏典。あなたのこの瞬間瞬間が嬉しくて、そして、今があることが、ただただありがたくてたまりません。ありがとう。ありがとう。沢山の奇跡をおもい、沢山の方たちの支えをおもい、 そして、これまでの闘いをおもい...沢山の感謝と嬉しさが溢れました。帰り道、宏典の手をひき、満開の桜の木の下を歩く。こんな日を迎えることが出来るなんて、当時は到底考えられなかった光景です。これまで、こうして、HPを見ながら、見守ってきてくださった皆さん。心から感謝申し上げます。ありがとうございます。 これからも、引き続き、どうか宏典の成長を見守り続けてやってください。


「ゴールデンウィーク」
 今年のGWは、3日までお兄ちゃんの野球の試合があったので、4日と5日は、久しぶりに家族揃って休日を過ごすことができました。
 4日は、これまでに何度か遊びに行ったことのある、家から1時間ちょっとのリフレッシュパークに遊びに行きました。大きなジャングルジムに竜の口から滑る長い滑り台、ロープで吊るされ ている大きなボールにまたがるスライダー、そして、芝生の広場。子供たちは大喜びです。真っ赤な顔をして息を弾ませ、汗をかきながら遊びます。初めてきた時には、親の手助けがないとなかなか昇れなかった場所も、へっちゃらにどんどん昇っていきます。竜の滑り台も、足から、頭からとへんてこりんな滑り方で楽しみます。 子供の作りだす遊びは、すごいものです。
 芝生の上での野球は、宏典はバッターオンリー。パパさんがボールを投げ、私が内野?外野?なんだか、一番走らされた気がしています。お兄ちゃん達のキャッチボールほどとはいきませんが、宏典流で野球を楽しみます。いつか、兄弟3人でトライアングルのキャッチボールができるのでしょうか。最後にスライダーで、 思いっきり楽しみ、帰宅しました。みんないい表情といい日焼けでした。

 5日の日は、祖父母の家で遊び、昼下がりに浜辺へ。すぼんをまくりあげ、長靴を履いている意味があったのか、長靴ごと海につかり、持って行った網で何か一生懸命撮っています。兄弟3人で、あっち行き、こっち行き。次男は、網でフグをゲット!宏典はわかめ。長男は、嫁の皿という岩にくっつく貝とニナ。それぞれが 戦利品を大事に持ち帰りました。パンツまでびっしょりになりながら、夢中で遊んだ浜辺遊び。太陽がきらきらと水面を照らし、青い海がとても美しく、何より、3人の子供たちの命が輝いていました。

 久しぶりに皆で遊んだGWの2日間は、それぞれに頑張っている家族5人にとって、これからの頑張るエネルギーに代わる素敵な時間を過ごすことができました。


「ひろくんは、みんなの子供」
 私たちのお世話になっている方が、ぽつりと言われた言葉。「ひろくんは、阿波さんたちの子供だけど、僕たちの子供でもあるから...」。なんとも、胸の熱くなる嬉しい言葉でした。そして、「ひろくんの走り回る姿を見るだけで、嬉しくて涙がでる。」とその方はいってくださいました。パパさんが、手術成功の後 、「宏典は、僕たちの子供から、皆さんの子供になりました。」とあいさつした言葉を思い出します。
 宏典の成長の記録をテレビで放送された時も、「テレビを通して、その成長が見れて、自自分自身や家族のことのようにうれしく感じる。」との反響もいただいた。
 これまでの経緯から、取材に応じて行くことは、とても心を使い、エネルギーもかなり消耗してしまうので、しんどいことだなあと思っていた私たちでしたが、そのお陰で、今も多くの方が、宏典を自分の子供のようにその成長を見つめてくださり喜んでくださっている方もおられることを知り、そして、近くに「ぼくたち の子供でもある」と言ってくださる方がいてくださる。術後3年目に入った私たちですが、そっと見守り続けてくださる方々の存在を思い、これからを生きぬくエネルギーにしていきたいと思います。

平成22年3月29日

「卒園式」
 3月25日に、宏典の通っている保育園の卒園式がありました。実は、宏典は卒園式の前の週、風邪の熱でお休みしていて、まだ、治りきらないうちの卒園式の練習と本番でした。担任の先生に、「もし台詞やすることがわからなくなったら、先生を見なさい。先生が必ず教えてあげるからね。」と声をかけてもらい、本番は 必死に担任の先生を見ながら、すべてをこなしました。
 卒園児は5人しかいないのですが、先生方の心のこもった会場づくり、贈り物...温かい雰囲気の中で卒園式ははじまりました。
 胸に花をつけてもらい、椅子に座る宏典をみつめながら、たくさんの感謝が溢れます。はじめて園を訪れ、園長先生に温かく迎えていただいた日、運動会、和太鼓の演奏、クリスマス発表会...1年ちょっとの在園でしたが、様々な経験の薄い宏典をお友達はやさしく受け入れてくれ、先生方は温かいまなざしをもって、育ててくださいました。そして、今目の前に卒園式をこうして無事迎えてくれた宏典がいます。
 ドナーの子「天使ちゃん」がいなかったら、今ここにこうして生きることのできなかった宏典。私は、式の間、天使ちゃんに話していました。「天使ちゃん、‘今’をありがとうね。あなたのおかげで、この時間がある。宏典と共にこれからも、いっぱい笑って、いっぱい遊んで、たくさんのものを見てね。共にいてくれて ありがとう。」
 4月からは、いよいよ小学生。宏典にとっては沢山のチャレンジが待っていることでしょう。ちょっと離れた保育園に通っている宏典は、まだ新1年生の中にお友達は一人もいません。一人ずつ、お友達が増え、小学校の生活にも慣れ、笑顔の溢れることを親として、願っています。宏典の新しい世界が、また始まります。「 ひろくん、がんばれ!」


「ランドセル」
 おじいちゃんとおばあちゃんに買っていただいたランドセルが届き、開ける日がやってきました。送られて来た箱のテープを一生懸命はずし、いよいよランドセルとのご対面!どんな顔をするのだろう...と思って、見守っていると、神妙な顔でランドセルを取り出しています。「ひろくん、よかったね!」の声にはじめ て、いつも嬉しいときにする鼻の下を伸ばした照れ隠しをするかのような笑い。
 さっそく、長さを調節し、宏典がかるえるようにしてあげると、背負ったまま、あっちに行き、こっちに行き。おろしては開けたり閉めたり。顔見知りのお客さんが来ると、子供部屋においてあるランドセルを取りにいき、無言で目の前におく。気が付 いてくれるのを待ち、気がついてくれると嬉しそうにランドセルの説明。「ここを押したら、くるっと閉まるんよ。すごいやろ。」「ここに絵があってね、ここには名前を書くんよ。」そして、また何度も、何度も開けたり閉めたり。
 宏典の選んだ色は、深いブルー。はじめ、お兄ちゃん達と同じ黒にすると言っていたのに、なぜその色を選んだのか尋ねてみると、「だって、ひろくんはきれいな色が好きなんよ。これ、きれいやもん。クロは、きれいじゃないもん。」という返事でした。
 私も大好きな深いブルー。美しい海の色。病室にいくつも貼っていた海の写真の色。海の写真は、海を見るのが大好きな私にとっての無機質な病室での癒しでした。きれいな色がいいという宏典...これからも、きれいなものを沢山見てね。この地球上には、ほんとに美しいものが沢山です。きれいなものをきれいと思う 、その気持ちをいつまでも持ち続けて欲しいと思います。

平成22年2月24日

「検査入院」

 2月8日〜2月11日まで、1年に1度の検査入院でした。メインの大きな検査は、心臓のカテーテル検査でした。大腿部のところから、血管を通してカテーテルを心臓まで送り、心臓の内部の検査をします。その時に心筋の一部も窃取してきて、心筋の生検 を行い、拒絶反応の有無を調べるのです。
 そして、今回はずいぶんと成長した宏典がいました。カテ室に入ると毎年大泣きをしていた宏典でしたが、今年は先生からの「ひろくん、頑張ろうな。」の声にうなずきながら、眠ったそうです。
 そして、動いてはならないカテ後の時間も、起きてすぐは驚いて暴れてしまいましたが、すぐに状況を理解し、しっかりと横に なったまま過ごしてくれました。なので、今年は、抑え込んだり、吐物の処理をする必要もなく、付き添う私はとても楽でした。動いてはいけないカテの日を乗り切った次の日は、病棟の廊下を走るは、プレイルームでは、基地をつくって闘いごっこをするはの大暴れ...そして、ウノ大会。年上の子たちにまじってカードゲーム を楽しむ姿に成長を感じました。
 この入院では、いつも闘病の子供たちとも出会います。それぞれ厳しい病気を抱えながらも、皆、必死に病気と闘っています。寄り添う親たちも。点滴をつけている子、治療で髪が抜け落ちた子、ベッドから離れられない子...みんなみんな、我慢の多い毎日を頑張っています。早く、この子たちが、我慢の毎日から解放され、子供らしく笑い、子供らしく遊べる日が来ますようにと何も出来ない私は、心の中で何度も手を合わせます。
 そして、もうすぐ、3回目の2月23日を迎えます。無事3年をこうして過ごすことができたこと、こうして奇跡の時間を与えられていることに、深い感謝とそして、この日をまたこうして来年も迎えられることができるように祈りを捧げる日。
 ドナーの子、「天使ちゃん」は、宏典と共に、私たちの愛を感じてくれているでしょうか。天使ちゃんへの夜眠る前の挨拶は、3年たった今でも毎日欠かさず続いています。


2月23日
 「もう一つの誕生日」

 2月23日は、宏典がニューヨークで移植手術を受けた日。ドナーの子と共に、新しい命の時間を刻み始めた日です。今年も無事、3回目の2月23日を迎えることができました。宏典と一緒に小花を摘み、ローソクに火を灯しました。来客があり、宏典と天使ちゃんと私と3人での会話は、今年は難しかったのですが、私は、心の中で天使ちゃんに話しかけます。
 「天使ちゃん、天使ちゃんの命も私たちは愛せていますか?」「宏典と一緒に沢山の物を見て、感じて、喜んで、笑って、泣いて、怒ったりしていますか?」「私たちの毎日のありがとう、きちんと届いていますか?」「ありがとう。宏典の奇跡の時間をありがとうね。そして、これからも よろしく...」
 私たちの中では、ドナーの子は、宏典にとっては「天使ちゃん」としていつも一緒にいてくれている感覚なので、天国で笑っていてねというよりは、宏典と共に幸せでいてねという思いの方が強い。宏典の命の火が消え入りそうだった3年前の2月23日、ドナーの子の消えゆく命の火と宏典の命の火はひとつとなり、力強い命の火となりました。
 紡ぎ合ってここに存在するこの命を愛しく、そして眩しく見つめています。この命を今日こうして抱きしめ愛することのできること、ドナーの子「天使ちゃん」に、そしてそのご両親に今日も心からの感謝と共に、また一年、私たちの持てる愛の限り、宏典と共にあるその命を愛していくことを心に刻みたい と思います。大切な命の時間が、今流れています。

平成22年1月29日

「水疱瘡」

 年末年始にかけて発熱していたのは、水疱瘡でした。
 はじめ、ひとつの水泡がどんどんと全身に広がり、熱も高くなりました。普通なら、この時期に水疱瘡にかかることは、大人になってかかることを考えると、喜ぶ感染なのですが、免疫抑制をかけている宏典には、とても注意のいる感染症です。
 主治医からの指示もいつもより、厳しい経過観察の注意を言われました。病院で薬を処方していただき、主治医と連絡をとりながら、どうにか、自宅で乗り切ることができました。治りきるのに、普通の子の倍の時間がかかりましたが、合併症等もなく、無事やり過ごせたことにほっとしています。
 1月の外来で、水疱瘡の心臓への影響も加味して、毎年行う1年に1回のカテーテルのための検査入院を少し予定よりも早めてすることになりました。2月にその入院を控え、体調管理も引き続きしっかりと行っていこうと思います。


「将来の夢」

 宏典に「将来何になりたい?」と聞くと、いつもは、「ひろくんね〜 仮面ライダーになりたい!」と答えます。ところが、このたび会話の中でとび出した、宏典の将来の夢は....「ひろくんの将来の夢はね〜 ママにずっと会えること!」
 「将来の夢」という言葉の意味をどこまで理解して言っているかは、わかりませんが、胸が熱くなってしまいました。
 移植を受けた子の抱えるリスクは、表面上ではわからないリスクを多く抱えています。他の子供たちのように、事故などに合わない限りは大丈夫といった命では、ありません。もちろん、他の子供たちの命にも、「絶対」はありませんが。
 宏典の将来の夢、「ママにずっと会えること」は、同時に私たちの夢でもあります。親である私たちの生が終わるその日まで、「宏典の命、子供たちの命をみつめること」それが、私たちの夢。
 その夢を守れるように、命を見つめ、守り、愛していこうと思います。

平成21年12月30日

(お詫び)

 宏典の近況報告が大変遅れましたこと、お詫びいたします。宏典のことではなく、ちょっとバタバタしておりました。いつも、気にしてくださっている皆さんに、ご心配をおかけしたかもしれません。申し訳ありませんでした。


「クリスマス会」
 保育園のクリスマス会が12月19日にありました。
 宏典は、この時期、新型インフルエンザ等の感染症の影響で、本人は元気でしたが予防のため、ほとんどをお休みしていました。少ない登園日の中で一生懸命覚えて、当日は自信のない中、頑張ってくれました。
 合奏では、懸命に先生の指揮を見ながら、リズムを打ち、先生まで、指揮をしながらも宏典に合図を送ってくださり、それに合わせて打楽器を打つ姿に、その一生懸命さが見ているこちらまで伝わってくるようでした。
 演劇では、こぶたの役をいただき、「ひろくん、ぶたなんちゃな〜...きつねがよかったんよね〜」などといいながらも、かわいいクルンクルンのしっぽをつけて、台詞をきちんと言うことができました。「ひろくん、長い台詞があったから、ドキドキしたんよ。」と話してくれました。
 ピアニカの演奏は、お得意の名演技!曲に合わせて指を動かしているものの、よく見ると、指がみんなと違う苦笑。それでも、ぼくは、弾いてるんだとばかりにリズムに指を合わせ、最後も見事、みんなに合わせ て手を離し、礼。ちろ見で磨いたこの演技力に思わず、笑ってしまいました。


「サンタさん」
 宏典の今年のサンタさんへのお願いは、仮面ライダーWのゲームのカセット。一生懸命、サンタさんにお兄ちゃん達と手紙を書き、毎年使っている大きな靴下に入れました。イブは、祖父母とお兄ちゃん達とクリスマスをし、「早く寝ないとサンタさんが来ないよ。」の次男の真剣な言葉に、長男も宏典も早くに休みました。朝、目覚めた子供たちは、大喜び!「やったあ!サンタさん、来たあ!!」それぞれのプレゼントを開け、サンタさんからの手紙を読み、見せあっこ。3人とも、得意げにサンタさんからのプレゼントを報告しあっていました。
 その後、宏典の真剣な質問、「サンタさんって、なんでヒロくんのこと知っとるんかね〜?」私の答え 、「サンタさんは、世界の子供たちみんなのこといつも見守ってくれてるんやろうね〜。すごいね〜サンタさんは。」その説明に宏典は、納得してくれたようで、ニッコリ。私たち親には、今年も家族そろってのクリスマス(主人は仕事で子供たちが寝静まってからの帰宅となりましたが)をプレゼントしていただきました。


「発熱」
 阪大の外来に新型インフルエンザを避けて、ここ数カ月車で行っています。このたびは、冬休みということで、お兄ちゃんたちも一緒に、パーキングで休みながら片道6時間かけて、大阪へ。車の中は、兄弟3人で歌をうたったり、喧嘩をしたり、じゃれあったり...病院に行くだけのツアーですが、家族みんなでいることが子供たちもうれしいようです。受診を終え、このたびも特に問題はなく、ほっと一安心。また、もと来た道を帰ります。いつものことですが、帰りは同じ道のりなのですが早く感じます。やっとのこと家に到着したのは、夜9時過ぎ。親二人は、家に着くと、ほっとしてドッと疲れが出ますが、子供たちは長時間のドライブもな んのその。帰国時は、外来の次の日は、半日ゴロゴロと休養が必要だったのに、体力がついたものです。
 翌日、親元の大掃除があり、お手伝いに行っていたのですが、夕方から宏典が発熱。ここのところ何事もなく元気に過ごしていたので、親のほうがちょっと油断してしまいました。やはり、どんなときも、宏典の体調管理を一番に考えて、行動しなければならないことを痛切に感じました。調子のよいときが続いている時こ そ、管理をきちんと!と、今後、自分たちに言い聞かせようと思います。年末年始は、この発熱により、自宅に安静ですが、悪化して入院ということにならないようにこのたびもやり過ごしたいと思います。


「一年の終わりに」
 今年も、あとわずかで終わろうとしています。宏典も手術から3年目を迎え、ここまで何事もなく、過ごせてきたことに心から感謝です。一日一日を生きることで精いっぱいだった子が、今は、お兄ちゃんたちと走り回るほどになりました。あの頃の夢、宏典に子供らしく笑い、子供らしく泣き、子供らしく遊ぶことをさせ てやりたい...苦痛と我慢の毎日から解放してやりたい...家族一緒に生活し、家族みんなで眠りたい...それが、今現実のものとなり、そんな幸せな毎日を過ごさせていただいています。
 免疫抑制剤を飲み続けることによる心配は、絶えませんが、それでも幸せな幸せな時間です。来年は、宏典も小学校。3歳の誕生日を迎 えられないと言われた宏典が、ランドセルをかるい小学校に行くのです。毎日のドナーの子への眠る前の感謝、今は日課のように行っているこの感謝の意味を深く理解する日も来るでしょう。はじめてのお友達たちに囲まれて、様々な経験も、様々な思いもしていくことでしょう。
 来年も、今年と同じように、今日ここにこうして皆 が笑って生きていてくれることに感謝を捧げながら、宏典にとっては奇跡の時間の積み重ねであるこの毎日を、家族とともに一日一日歩いて行けたらいいなあと思います。
 
 幸せ探しの名人になった私たちですが、親として、経済的な立て直しと、そして自分自身の生きる道を3人の息子たちに胸をはってその姿を見せられるように、これからも精進していかなければと思います。
 どうぞ、引き続き、温かい目で、私たち家族を見守っていただければと思います。よろしくお願いいたします。皆さまにとっても、新しい年が今ある命に感謝し、足元に転がる幸せをひとつでも多く拾い上げることのできる一年となりますように、この場所から祈っています。この一年、温かい見守りとお気持ちをありがと うございました。

平成21年11月19日

「新型インフルエンザ」
 先週の木曜日に次男が、帰宅後に発熱。みるみると熱があがり、翌日、小児科に連れていくと新型インフルエンザの陽性反応が出てしまいました。慌てて、宏典と他の家族を祖父母宅へと隔離し、母親と次男だけが自宅に残りました。
 この辺りは、小学校でインフルエンザが急に流行り、学級閉鎖等がたくさん起きています 。次男が治ったころ、長男が発熱、ついで母親が発熱....感染をさせたくない宏典は、家に戻ってこれず、今も、実家の母のところでお世話になっています。
 従兄弟たちもいてくれるせいか、本人は楽しくやっているようで、初めてこれだけ離れて生活する私たちの方が、そろそろ宏典恋しく、会いたくてしょうがないという....なんともおもしろい状況になっています。
 以前は、投薬や本人の体の状況の把握などから、母親と離れて生活などとは、考えられなかったのですが、今では、ずいぶんと成長し、平気で離れられるようになった宏典をやはり頼もしく思います。
 インフルエンザに自分がかかってはならないとしっかりと把握し、黙ってお泊りセットを持って車に乗り込む宏典、電話口にあまりでたがらずにこの状況を受け止めている宏典、自分の体のことをよく知しっている宏典...いつか、もう少し成長をしたころ、制約のある自分の体をはがゆくおもい、周りの何気ない言葉に傷つき、自分の命の重たさに押しつぶされそうになる日も来るでしょう。その時も、どんな時も、そんな宏典の気持ちをドンと受け止め、背中をポンと押してあげられるそんな親であるように、私たちも日々、自分たちの心を成長させていかなければならないなあと思う今日この頃です。 


「ひろくんの命はママの命」
 何気ない会話の中に宏典が言った言葉。
 
「ひろくんの命は、ママの命よね〜。ママの命は、ひろくんの命なんよね。」

 多分、私がずっと無意識に宏典に言い続けていた言葉が、宏典の中に生きていたようで、思わず、びっくり...そして、その言葉に感動しながら、「そうよ〜。ひろくんと○○くん(長男)、○○ちゃん(次男)の命は、ママの命。ママの命は、ひろくんと○○くんと○○ちゃんの命なんよ...」と返すのがやっとだった 。
 闘病中、無意識に宏典に言い続けていた言葉...きっと、彼の体験した命のドラマは、この言葉だけでなく、たくさんのことがその心に染み込んでいるに違いないんだろうな〜と、感慨深いものがありました。今は、決して話そうとしないアメリカのICUでの記憶。強く彼の中に残っていることは、知っています。いつか、彼が自分の口でその命を語る日がくることでしょう。その時、彼の言葉が、誰かを支える言葉となりますように。勇気と希望を抱くことのできる言葉となりますように。祈ることしかできない、親の私たちは、今日も、この命への感謝と祈りを捧げます。

平成21年10月16日

「運動会」
 9月27日は、保育園の運動会です。朝から、嬉しくて大興奮。家族が見に来ること、自分が運動会に出るということが、嬉しくてしょうがないのでしょう。見ているこちらにまで嬉しさが伝わってくるようです。入場行進からはじまり、かけっこ、障害走、ダンス、親子競技、和太鼓の演奏....すべて、休むことなく参加しました。
 かけっこは、もちろんビリ!けれども、一生懸命走りました。ドラゴンボールの曲に合わせてのダンスは、嬉しそうに楽しそうに手具の棒を振り回して踊りました。一番、本人の楽しみにしていた和太鼓演奏。衣装もさっそうと、はちまきを締め、黒足袋もはき、格好はとびきりキマっています。和太鼓の練習が始まったとき、もう何年もこの保育園で和太鼓に親しんできたお友達と比べて、ばちさばきも要領がつかめず、リズムもわからず、かなり戸惑っていました。
 途中お休みが続いたりで、一時はどうなることやらと思っていましたが、本番当日は、ばちを振り上げる腕の肘までピンと伸ばし、顔も真剣に必死に大きな和太鼓を打っていました。その姿は、なんだか凛凛しくて、「いつのまにか、お兄ちゃんになったな〜」と宏典の成長をほほえましく見つめました。まだまだ差があるなあと思っていた同級生との格差が少しずつ埋まって言っているようです。


「6歳の誕生日」
 10月2日、この日は宏典の6歳の誕生日でした。宏典の今年のケーキの絵のリクエストは、仮面ライダーダブル。ケーキ屋さんで、見事に違った色のダブルを3人も描いていただき、宏典は大喜びでした。ローソクの上に1本ずつローソクを立てながら、喜びが募ります。私たちにとって、誕生日は特別。迎えられないと言われた 3歳の誕生日に3本のローソクに火を灯したあの日の映像は、私たちの心に今も鮮明に残っています。迎えられないと言われた誕生日を一回、一回と重ね、今年は6本のローソクに火が灯りました。こらからも、このローソクが一本、また一本とずっとずっと増やしていけるように、今日もまた、この命とこの時間のあることに感謝が 溢れます。宏典は、ドナーの子と共に、この命を精一杯生きています。


「移植者スポーツ大会」
 10月11日、全国移植者スポーツ大会が福岡で開催され、宏典もお兄ちゃんたちと参加しました。
 参加種目は、去年の栃木大会と同じ、25m走、立ち幅跳び、ボールスロー、フリスビー投げでした。今年は、移植した子供たちの参加はやや少なかったように思いますが、宏典と同じ年に移植手術をした2人の女の子に挟まれ、3 人の見事な力走を見ることができました。
 その中でも、やはり宏典はビリでしたが、それでも、最後までしっかりと走り切り私の胸に飛び込んでくれました。夜の表彰では、金メダルと銀メダルを1個ずつもらい、そのメダルを誇らしげにかけていました。
 移植者のスポーツ大会には、ドナー家族も招待され、来られています。移植を受けた者がその命輝かして生きている姿を沢山の感謝をもって、多くの人に知っていただく大会。
 そして、移植を受けた者同士、お互いの姿を見て、また、来年も元気で会おうと勇気を与えあう大会。夜のパーティでは、ドナー家族も、移植者も皆、ひとつになって、ダンスを楽しみました。この光景を多くの方が見られたら、日本の移植医療はもう少し速いスピードで理解が広がっていくのかもしれません。アメリカのテレビで、一日に何度か、そういう映像が流されているように。まだまだ、日本ではこの大会は、大きく取り上げられるには至らず、法改正の行われた後の今、私たちの国日本は、どうこの医療を受け止めていくのでしょう。

平成21年9月14日

「感染症」
 保育園で感染症の子がでると、免疫抑制剤を飲んでいる宏典は、保育園を2週間お休みします。本人が感染症になったときも、園で感染症の子が出たときも、宏典はお休みをしなければならないので、新型インフルエンザの流行とこれから段々と強い風邪の季節になっていくことを考えると、そろそろ厳戒態勢にはいらなけ ればなりません。
 外から帰ってからのうがいと手洗い、人の多いところではマスクの着用等...しばらく、よい季節が続き、管理する私たちとしては、ちょっと気楽な時期を過ごしていましたが、今年は、早めに気を引き締めていこうとお母さん仲間と話しました。
 本人は元気だけれど、保育園に行けない間は、母親と二人で過ごしますが、エネルギーがありあまって大変です。ブロック、闘いごっこ、お絵描き、料理の手伝い、粘土...あの手、この手で過ごしますが、週末には、こちらのエネルギーが切れてきてしまいます。
 だけど、これも病院で過ごすことを考えれば、嬉しい悲 鳴です。しんどくなったときは、闘病中の生活を思い出すと「このくらいのこと、へのかっぱだ!」とまた頑張れるから、私にとってその記憶は、いつもいい滋養強壮薬となってくれます。


「お友達」
 宏典の通う保育園は、年長さん5人という本当に小さな保育園です。そこに同級生の男の子は1人。
 先日、はじめてその子がうちに遊びに来ました。宏典は、大喜び。自分のお友達が来たと兄たちに誇らしげに紹介し、その子にも一生懸命、自分のおもちゃやゲームをいたれりつくせりで、紹介していました。遊んでいる間中 、興奮状態で、よっぽどうれしかったのでしょう。いつも、末っ子でしてもらうことの多い宏典が、お友達に一緒前に気をつかっている姿が、なんともおかしくて。
 来年は、1年生。お友達もだんだんと増えていくことでしょう。少しずつ、少しずつ階段を上って行ってほしいと思います。今こうして階段を上っていける生活のできることに、やはり感謝の気持ちを忘れずに日々を過ごして行きたいと思います。

平成21年8月5日

「保育園の夏祭り」
 8月1日の夕方5時から保育園の夏祭りがありました。宏典は、じんべさんに身を包み、役割は、「あめ屋さん」。あめ屋さんのチケットを受け取り、おたまですくってもらい、手造りの袋にいれて、渡すという仕事です。
 あめ屋さんは、大繁盛。知らないうちに行列が出来てしまい、宏典は大忙しです。真剣な顔をして、一生懸命チケットをもらい、すくったあめをふくろに入れて渡しています。まだまだ、手先も不器用ですが、最後まで頑張りました。
 それが、終わって、お次は、和太鼓の演奏の披露。何年かこの和太鼓の演奏に取り組んできた他の年長さんのようにはいきませんが、それでも一生懸命演奏をこなしている姿に、ずいぶんと成長しているのだなあと嬉しくなりました。長い演奏の途中、何度かわからなくなりましたが、ここは、お得意のちろ見で合わせ、どうにか、最初から最後までやりきってくれました。夜の我が家のビデオ観賞会では、他の年長さんには劣るその演奏の姿を、家族みんなに「すごいね〜ひろくん!がんばったね。」「かっこいいね〜!」と褒め られ、大満足。まだまだ、幼稚で同級生には足りないものもたくさんありますが、大きな目で見守っていこうと思います。


「萩の夏祭り」
 8月3日に萩市の夏祭りに行きました。あいにく大雨が降り、これは駄目かな〜と諦めていたら、雨が小雨になり、どうにか、お祭りを楽しむことができました。宏典は、初めての浴衣を着て、嬉しそう。従兄のお姉ちゃんと二人で歩くその浴衣姿の二人の後ろ姿は、なんとも可愛らしく、やはりこの瞬間があることに感謝せずにはいられません。かき氷を食べ、りんご飴をかじり、金魚すくいを楽しみました。
 金魚すくいには、目の色が変わり、お兄ちゃんたちともう夢中でした。サービスで大きな金魚をいれてもらい、「空気のぶくぶくを入れないと死ぬ!」「お水が少ない!」と大騒ぎで金魚のお世話をしました。
 笑ってしまうのは、大人の目を盗んで、宏典は何度も金魚のそばに行き、金魚すくいでもらった金魚のふくろに金魚を鷲掴みで入れたりだしたりしていたようで、金魚たちは心なしかぐったりしていました。はじめての金魚すくい、自分の金魚をもらったのがとっても嬉しかったのでしょう。だんだんと宏典の経験が増えていきます。


《本の紹介》
 前回、ホームページで紹介した宏典の闘病記が、ようやく皆さんに紹介できる形となりました。術後2年を経過して、やっと書き綴ることができた闘病記です。宏典の病気がわかってから、移植手術に至るまでのことを書かせていただきました。宏典の病気を知った時の気持ち、移植の道に進むことを苦しみ思い悩んだこと、一度は移植の道を諦め自分の腕の中で看取る覚悟をしたこと、進まないとした決断が崩れ進む道にやっとたどり着いた時の思い、募金活動、命がけの渡米、アメリカの病院で見た小さな戦士たち、宏典の命の限界、脳死になった場合宏典の臓器を提供するサインをしたこと、奇跡的な回復、移植医療の姿....私が見てきたこと、感じていたことを心のままに書き綴りました。
 当初、宏典にはいつか書き残しておいてあげたいと思っていたものですが、当時の感情を思い起こすことはまだまだハードで、もう少し先の話になるだろうと思っていました。そんな中、トリオ・ジャパンさんから、移植患者家族の声を集めた本に私たちの体験を綴ってほしいというお話をいただき、ペンを握ってみたらペンが走り始め、与えられた期間が10日という短い時間の中で一気に書き上げてしまいました。それが、先般出版された「今日の命を生きるために」(はる書房)でした。
 その文章に書き残してしまったことを追記し、さらに主治医の先生方の文章が加わり、このたび、「ミラクルボーイと呼ばれて」という本になり、出版されます。
この本を通して、何を伝えられるのか、何が皆さんの心に届くのか、まだまだ未知のものでわかりませんが、きっと、必要があって世に出されるものとなったことを強く感じています。次に進む家族の心を支えるものとなれるかもしれない、読んでくださった方が今の幸せに気がつくきっかけになるかもしれない。そして、募金活動の際、善意を寄せてくださった皆様に、宏典の命を祈ってくださった皆様にひとつのご報告となればと思っています。


 お盆明けから書店に紹介され、8月の末には書店に並ぶこととなる予定です。部数が少ないので、書店からの取り寄せになるかもしれませんが、多くの方に読んでいただけたらと思います。そして、今読んでくださっているあなたの大切な家族やお友達にも、ぜひ読んでいただけたらと思います。価格は、多くの方に心安く 読んでいただくために、 安価に抑えていただき500円となります。
 一人でも、多くの方に「ミラクルボーイと呼ばれて」に込めた祈りが、届きますように。

平成21年7月3日

「嬉しい再会」
 先日、ニューヨークでお世話になった、当時ニューヨーク日本人学校に勤務されていたF先生ご夫妻が、帰国の挨拶もかねて、宏典に会いに来てくださいました。
 たまたま、山口県からニューヨーク日本人学校に赴任されていたご夫妻は、宏典のことを知り、現地の病院に訪ねて来てくださったのでした。
 移植手術前の宏典 の状態を知るお二人は、さらに体も成長し元気に走り回る宏典の姿を目を細め、嬉しそうに見つめてくださいました。みんなでアルバムをめくると、時間も空間もワープしたかのように、当時のニューヨークのアパートの一室でワイワイと楽しい時間を過ごしたことが思い出されます。「あの時は、こうだったよね。」「このときは 、本当につらそうだった。」と懐かしく当時を振り返りました。
 お変わりのない優しい眼差しのお二人との楽しい時間をたっぷりとすごし、宏典も私たちも、嬉しい懐かしい楽しいひと時となりました。こうして、今も忘れずに気にかけてくださるお二人の気持ちに、心が温ためられました。
 どうか、これからも、宏典の成長を見に来てやってくださいね。今も大切なこのつながりに心から感謝です。


 「ママは、死ぬの?」
ひろのり「ママって、死ぬん?」
「どうしたの?なんで?」
ひろ「だって、ママが死んだら怖いもん。」
「大丈夫。ひろくんたちおいて、ママが死ぬわけないでしょ。」
ひろ「うん・・・」
「だけどね、いつかは、ママはひろくんたちよりも先に死ぬのよ。そして、先にお星さまになって、ひろくんたちが天国に来る時に両手を広げて待ってるからね。」
ひろ「なんで、ママが先に死ぬん?」
「それはね、順番なの。子供はね、親よりも先に死んではいけないんよ。親が先に死んで、お星さまになって、そして子供が死んだ時には迎えに来るんよ。それはね、守らなくちゃいけない順番なんよ。」
ひろ「ふう〜ん・・・でもママ、まだ死なんよね。」
「そりゃあそうよ。ひろくんたちが大きくなって、お嫁さんをもらって、ひろくんたちの子供が生まれるまでは、死なれないなあ。」
ひろ「きゃははは。ひろくんも結婚するん?」
「そうよ。ひろくんも結婚して、ひろくんの子供が出来て、ママがひろくんに大好き!ってするように、ひろくんもひろくんの子供に大好き!ってしてあげるんだよ。」
ひろ「ふう〜ん・・・」
「大好きのリレーだね。」
ひろ「ひろくんのお嫁さんになりたいって、○○ちゃんが言ってくれたよー!」
「へえ!すごい!!いいなあ。○○ちゃん。ひろくんのお嫁さんになれるんだあ。ママがひろくんのお嫁さんになるのは、どう?」
ひろ「だめやろ〜、ママはおばあちゃんになってるわあね。」
「・・・・・・・」
 ある一日の一コマでしたが、この順番の約束は必ず守ってもらわなければなりません。私たちは、宏典のお嫁さんも、その子供も、愛せる日がくることを夢見て、一日一日を大切に積み重ねて行こうと思います。

《お知らせ》

 宏典の闘病の記録を術後2年がたって、ようやく書き綴ることができました。
 もうすぐ、皆さんにお知らせできる形となると思いますので、ここでお知らせしておきます。
形が整い次第、ホームページにもアップさせていただこうと思います。

平成21年5月31日

「よいこの運動会」

 5月16日、宏典の通っている保育園でミニ運動会がありました。宏典にとっては、園庭で行う初めての運動会。大張りきりでした。自分の作った旗をもっての入場行進は、みんなが見に来ているのが嬉しくて嬉しくて、手をふり、足もいつになく高くあげての行進です。
 顔は、嬉しさで笑いがこぼれてこぼれて...みんなで行う体操も意気揚揚と行い、年長さん全員(5人)でかわりばんこに言うあいさつも堂々としたもので、私たちは、嬉しいやらおかしいやら、でもやっぱり嬉しくて、顔もついついほころんで。
 ダンスは、大好きな「ウルトラマン太郎!」です。ダンスの始まりは、宏典と同じクラスのもう一人の男の子で、マイクに向かって「俺たちの地球を守るんだー!!」とかっこよく叫んでから始まり、家でも、何回かご披露してくれていたそのダンスを、時々ワンテンポ遅れながら、のりのりで踊っていました。
 そして、次はかけっこ。「用意、ドン!」。一番最後を口を真一文字に結んで必死に走りぬけていきました。ベッドの上で動けなかった子が、今こうして、園のトラックを一周走っているのです。初めて、私たちが目にした、宏典の1週走り切る姿。みんなよりも、もちろん、走るのは遅いけれど、大きな花丸の力走でした。午前中いっぱいで運動会は終わりましたが、最後まで休むことなく演技をすべてやり終えました。
 夜、そのビデオを家族全員で見ながら、野球の練習で来られなかったお兄ちゃんに宏典が解説をします。「この時、ひろくんのだけはずれんかったんよ〜。」「この踊り、教えちゃろうか?」「ああ、あれは○○ちゃん!」声を弾ませながら皆に嬉しそうに説明してくれました。宏典にとっても、家族にとっても嬉しい嬉しい運動会となりました。

平成21年4月29日

「ぼくは年長さん」

 4月の進級を迎え、宏典は小さな保育園の年長さん(ゆり組みさん)になりました。「ぼくゆりさんになったんよ!」と得意顔でお話をしてくれます。
 今までどうにか母親の手をとろうとしていた着替えも、自分でしっかりと出来るようになりました(年中さんまでにできるのが普通ですよね 苦笑)。新入園児に手品の披露をするのだと家でもハンカチをひろげ手品の練習。新しい担任の先生はどうやら手品がお得意のようで、目をきらきらとさせながら保育園で習った手品のお話をしてくれます。
 時々、ぽっと熱を出し吐いたりして保育園をお休みすることもあった冬の要注意の季節をすぎ、ここのところお休みもせずに元気に通ってくれています。年長さんといえども2年以上の闘病でその間の経験不足などからくるまだまだ未熟なところは多いのですが、園長先生をはじめ保育士さんの温かい見守りの中順調にそのブランクを少しずつ埋める成長を見せてくれています。
 「ひろくん、走るの遅いから...」ぽつりと寂しそうに漏らすその言葉に、「ひろくんは、元気になるためにいっぱい闘っていたでしょ。まずは、体を元気にしたんだよ。だから今から、ものすごい勢いでどんどん速く走れるようになるよ〜。どうする?○○ちゃんより早くなったら!」というと、「キャハハハッ!じゃあ、まずは○○ちゃん、その次に○○ちゃんを抜かせばいいんじゃあ!」と今から、抜かす日を夢見て目を輝かせています。


「ぼくがママを守ってあげる」

 先日、私が体調を崩し数日間きつそうにしていると、布団で横になっている私のそばにきて、「ママ。ママは僕が守ってあげるからね。」と言って抱きしめてくれました。闘病中、きついときに私がそうして宏典を抱きしめたように今度は宏典が抱きしめてくれたのでした。なんとも優しいいたわりに心が温められ、こうして体調を崩してなんかいられない!いつも元気な母親でいなくちゃ!と元気エネルギーが湧いてきたのでした。
 自分の闘病中の経験から、人をいたわるということが自然に身についてくれていたようでなんとも嬉しい一コマでした。宏典の闘病生活ですっかり体力を落とし(宏典とともに病院のベッドの上での生活は、病気を患っていなくてもその体力を恐いくらいに落としてしまいました)、術後2年を経過した今、元気一杯保育園に通う宏典を横目にそろそろ自分の体力をしっかりともとに戻さなくてはと自分のことに目を向ける余裕が出てきたことに改めて感謝です。この余裕は、宏典が元気に過ごしてくれていなければ生まれない余裕なのですから。ほんとうにありがたいことです。

平成21年3月24日

「術後2年目の検査入院」

 3月のはじめに術後2年目のカテーテル検査をするために、1年ぶりの検査入院をしました。
 検査は、血液検査、エコー、レントゲン、心電図、ホルダー心電図(24時間)、蓄尿、そしてカテーテル検査です。この検査の中で一番大きな検査は、カテーテル検査です。太もものつけねの大きな血管からカテーテルを通し、心臓までおくり、心臓内部の状態や心臓の筋肉の窃取等を行い、現在の宏典の心臓の状態や拒絶反応により心筋への影響のチェックをします。リスクを伴う検査ですが、一番きついのは、検査が終わり麻酔が醒めてから、何時間も動いてはならないことです。大きな血管からカテーテルを挿入するため、その傷口が開き出血することを防ぐためなのですが、この動いてはならならない時間が苦痛でたまりません。大人でも苦痛なこの時間、幼い子供たちをなだめて安静に保つのは至難の業です。今回は、目が覚めた宏典がもうろうとした意識の中夢中で立ち上がろうとしたため、再び眠らされてしまいました。薬で眠らせられると動く心配はないのですが、薬が切れて目が覚めてからが少しきつい思いをします。今回、宏典は目が覚めてから何回か吐いてしまいました。
 そんなきつい検査を終えた後は、元気エネルギーをもてあまし、同室の男の子が同じ歳だったのもあってプレイルームで闘いごっこ三昧...廊下を走るは・・・で大変でした。
 検査の結果は、すべて異常なし。毎回、この検査では結果がでるまでかなり心配なのですが、今年もどうにか異常もなくほっとしました。
 1年に1度のこの検査入院は、親の私たちはいろいろなことを思い返し、また改めて考えさせられる大切なひとつの行事のように感じています。小児の循環器病棟には、さまざまな重たい病気を抱えた子供たちが入院しています。どの子も懸命にその病気と闘っています。酸素をつけている子、治療で髪の毛のすべて抜けてしまった子、点滴をつけている子、ほとんど寝たきりの子....かつて、宏典もここで命の限界まで闘っていた姿を思い出し、その時の気持ちが蘇る場所です。その当時のことを思い出すことはつらい作業でもありますが、今の幸せにあらためて感謝の気持ちが溢れます。
 今も重症の病気と闘う子供たち、そしてその子供を必死で守っているお母さんたち...祈るしかできない私は、この子供たちとお母さんたちがどうか癒されますように 、お母さんの子供に向けられるこの温かい微笑みをどうか守ってくださいと手を合わしました。どうか、ホームページを開いてくださっている皆さんも、病と闘う子供たちのために少しの祈りを捧げてあげてください。祈りの力は見えないものですが、宏典の命も多くの方にそうやって支え守っていただきました。術後2年目の検査もこうして無事終え、今ここにあらためて感謝のおもいを伝えたいと思います。どうかこれからも、宏典の成長を見守り続けてやってください。

平成21年2月24日

 「もうひとつの誕生日」
 2007年のこの日、宏典はドナーとしての臓器提供をを申し出てくださった勇敢で愛に溢れたドナーのご両親とドナーになってくださったお子さんのおかげで、心臓移植手術を受けることができました。瀕死の状態にあった宏典はこの手術により奇跡的な回復を見せ、現在では元気に保育園に通うまでになりました。
 1歳3か月で病気がわかり3歳の誕生日を迎えるまで、我が子の生死を左右する親に課せられた大きな決断に本当に苦しみました。
 「宏典の本当に幸せな道とは...」日に日に状態の悪くなっていく我が子を目の前に親である私たちが唯一できたことは、家族の笑顔で宏典を囲むこと、家族の愛で宏典を包むことでした。「本当の意味の幸せ...」について沢山考えさせられた時期でもありました。突然死の恐怖をいつも抱えながら、夜中に何度も宏典の寝息を確認し、「今日も生きてくれたね。ありがとう。」そして朝を迎えると「今日の日を迎えることができたね。ありがとう。」と一日一日を必死で過ごしていました。
 そして、今はその時とは比べ物にならないくらいの安心感をもって毎日を過ごすことができている幸せを心からありがたく思っています。ただ、いつも忘れてはならないと思うことは、今現在その当時の私たちのようなおもいで必死に毎日を闘いの中に過ごされている深刻な病気を抱える我が子をもつ親御さんがいられるということ。私たちが移植医療に関わることになって4年の月日が流れました。その間に私たちが知る移植手術に最後の望みを託してその道を進んだ子が11人、そしてそのうち亡くなってしまったお子さんが5人(私たちの知る範囲での人数です)。そして、私たちの知る以外にその道を進まずに断念し亡くなってしまったお子さんは、もっと多くおられることでしょう。
 昨年、WHO(世界保健機構)のジュネーブ宣言で、「自国の臓器は自国でまかないましょう。」と高い医療水準を持ちながら法改正が進まず子供たちの移植に関して海外のドナーに依存し続けてきた日本に向けての警鐘のような宣言がなされました。
 現在、日本からの患者を受け入れてくれているドイツやアメリカなどでは、自国民の臓器移植を必要としている患者さんの中に日本の患者さんを受け入れてくれています。深刻なドナー不足(それでも日本の大人のドナーの数よりも格段に多い数ですが)を抱えているにもかかわらずです。私たちが当時、法律の改正の進まない日本という自国にはじめて無念な気持ちと残念で悔しい気持ちを抱いたように、そう思いながら亡くなっていく命やその家族は後を絶ちません。
 私たちの国、日本も今WHOのジュネーブ宣言を受けて、助かる道のある移植の必要な患者さんを助けられる国に変えていけるかどうか、医療関係者をはじめ日本の舵をとっていかれる政治家の皆さんに、そして国民一人ひとりの皆さんにかかっていると思います。
 現在、受け入れてくださるドイツやアメリカなどの国がいつの日か日本からの受け入れを拒否しはじめたとき、針の穴ほどの生きる希望にすべてを託し移植手術にかけようとされている患者さんが希望の光の道を閉ざされてしまうことのないように、先にあげた責任あるたくさんの方々が自分の問題として真剣に考え、早急な臓器移植法の改正に至ることを願ってやみません。
 2月24日の今日、宏典はアメリカのドナーによって新しい命を吹き込まれ、ここまで復活し奇跡の時間を生きるに至りました。移植医療の尊さを身をもって体験した家族として、今の幸せにあまんじることなく、後に続く患者さんたちを自分たちのこととして受け止め、できる範囲のサポートをさせていただきながら早急な臓器移植法の改正の必要性を機会がるごとに訴えていきたいと思います。
 そして、今日はドナーのお子さんの命日でもあります。宏典と共に生きるそのお子さんの冥福を心からお祈りし、宏典と共に愛し続けていくことを再度誓いたいと思います。
 最後に、いつもホームページを見てくださっている皆さん、ありがとうございます。皆さんに見守られて元気に2度目のもうひとつの誕生日を迎えることができました。宏典に心寄せてくださり、目に見えない力で支えてくださっていること深く感謝しております。どうか、皆さんの今日一日が幸せで温かい気持ちに包まれますよう、お礼も何もできない私たちですが心からお祈りしたいと思います。


 なお、大阪大学移植医療部の福嶌教偉先生が書かれた「何故、日本人が心臓移植を受けに海外に渡らなければならないのでしょうか?」という文章をダウンロードしてお読みください。
 現在の移植医療の日本の現状が大変わかりやすく書かれてあります。どうか、ご一読いただき、日本の移植医療の実態を共に考えていただけたらと思います。
心臓移植の現状について(pdf形式:約98KB)

平成21年1月27日

「風邪、風邪、風邪」
 年末に上の兄から順番に嘔吐風邪になりましたが、二日でおさまりどうにか乗り切りました。嘔吐がつくと、大切な免疫抑制剤がきちんと服用できずに困ります。
 このたびも、定時に飲ませ吐いてしまい、深夜12時をまわっての3回目のチャレンジでその後嘔吐せずに服用でき、ほっと胸をなでおろしました。年末年始は、大人しく静かなお正月を過ごし、1月8日は元気に保育園に行きました。
 ところが、次の週から兄が風邪で熱をだしてしまい、隔離したもののやはり3日後に宏典も咳と発熱。咳は奥から出る深い咳で回数は少ないのですが、要注意の咳でした。兆行が見えたときからすぐに保育園を休ませ、家で温かくさせて過ごし様子を見ていましたが、39度を超える熱が一日、その後数日37度から38度の間を行き来し、どうにか山を乗り切り、回復に向かい始めました。治りきるまで油断ができないのが、免疫抑制を飲んでいる体です。月1度の阪大への外来も1週間延期していただきました。小学生の兄が二人もいることから、兄たちにはたいした症状もでない風邪の菌が宏典には、大敵です。
 2回目の風邪も治りかけたところに今度は、鼻風邪。しっかり治りきるまで、もうしばらく自宅で療養です。保育園をお休みして3週間目。宏典の口からは、「保育園では、お手紙かいたりしとるんよね。」などの言葉が出たり、お遊戯の演技を一人で披露したり...母親との缶詰生活もそろそろ飽きてきたようです。それでも、風邪をひくとしんどくなることはよくわかっていて、外に出ては行けないという言いつけをしっかりと守ってくれます。
 移植を受けた子供たちの中には風邪で入院することもあります。今のところ宏典は重症化せずにすんでいて、このままこの冬を乗り切りたいところです。毎年、この季節は、強い風邪とのにらめっこになりそうです。


「恩人と緑のハート石」
 宏典の闘病をずっと応援してくださり、その回復と成長を温かく見守ってくださっていた私たちを大きく支えてくださった方が先日、がんの闘病の末、その生涯を閉じられました。
 帰国後、その病気を聞かされ、病院にお見舞いに宏典を連れて行った際、大きな仕事をやり終えた宏典がニューヨークの教会で宏典自身がみつけて選び、ずっと本人が大切にしていた緑のハート型の石を本人も納得の上、「病気のおじいちゃんが病気に勝てるようにひろくんの石を貸してあげる。」と言って、直接その手にお渡しし、お守り代わりにおいていただいていました。
 「ひろくんの大切な石だから、主人は一握りしただけで十分です。主人が元気なうちにお返しします。」と何度か奥さまに言っていただきましたが、恩人であるその方がその石を握ることでエネルギーがわくのであれば、どうか最後までそばに置いてやってくださいとお願いし、その方と共にその石を置かせていただきました。
 末期がんだったその方は、それ以来それを握りしめて生きる希望を持ち闘病され、一時は信じられないくらいの元気さをお見せになり自らが設立し、最も愛しておられた会社にも行かれたこと、危篤状態に陥ってからこん睡だったその方に石をご家族の方が握らせてあげたら目をあけられ、最後に「ありがとう。」と言われて旅立たれたことなど、奥様が「この石はたくさんの奇跡を起こしてくれました。」とお話してくださいました。
 宏典の闘病を大きく支えてくださった恩人のその人生の終末に宏典が深く関わらせていただき、そして沢山の力をいただいたその方にほんの少しでも恩返しができたのかもしれない...と宏典の大切にしていたその石が恩人に与えた生きるエネルギーを聞かされ、何とも言えない安堵を覚えました。
 葬儀では、息子さんが大切なその時間をお使いになり、日本の移植医療の現状と必要性をも呼びかけてくださり、心から頭の下がる思いでした。お写真の中から、優しく微笑みかけてくださるその温かい眼差しに「どうか、これからも宏典を見守り続けてください。そして、どうか私たちのことも。ほんとうにありがとうございました。」と、ずっとお話をさせていただいていました。「皆さんへの恩返しは、宏典くんを立派に育て上げることだよ。」病室でおっしゃったその言葉が頭の中で蘇ります。「宏典を必ず、育て上げます。」その方との約束をもう一度胸に刻み直し、恩人のご冥福を心からお祈りしたいと思います。


平成20年12月23日

「七五三」
 
 11月22日、宏典の七五三のお祝いに救う会の会長さんが宮司を務められる天満宮に出かけました。1歳で病気がわかってから、本来は男の子は3歳で七五三の節句をされる方が多いのですが、宏典もやっと5歳になって七五三のお祝いをすることができました。
 お兄ちゃんたちも着た着物を着せて、家族全員の写真を撮ってもらおうと写真館に行ったのですが、着替えになってなんと宏典は大暴れ。こわばった顔で着物を着ることを拒否。手足をありったけばたつかせ泣いて嫌がるので、着物は断念し、私服でパシャリ。お兄ちゃんの袖を握っていい笑顔で映していただきました。みんな正装の中、主役の本人が私服....というなんとも思い出深い写真となりました。
 その後、お宮で宏典を救うために大変ご尽力いただいた宮司さんに祝詞をあげていただき、無事、よいお天気の中、七五三の節句は終わりました。
 後から考えてみると、着物の着方は処置を受ける時の病院着に似ていて、そして写真館の機材は、手術室に似ています。あんなこわばった顔で拒絶した宏典....どうやら嫌なおもい、怖いおもいをした瞬間にフラッシュバックしたのだと気が付きました。
 いつもは、もう見えないようにしまいこんでいる彼の中の辛い記憶が今も何かの瞬間に蘇ることを知り、幼いながらにもあの経験は強烈な感情として焼き付いていることを知る出来事でもありました。
 それでも、その後はずっとご機嫌で、水戸黄門様みたいなよく知る宮司さんの祝詞を兄たちとにこにこしながら聞き、みんなでの久しぶりの外食ではいつもの倍の食事をほおばっていました。やっと迎えることのできた嬉しい七五三でした。


「二十八の瞳」
 
 萩市内の中学校の道徳の授業に参加する機会を与えていただきました。宏典の闘病を回想しながら、たくさんの人のおもいが宏典の命を強く支えたエピソードを紹介し、中学生にわかりやすく救う側のおもいと救われる側のおもいを救う会のメンバーの一人の方と一緒に当時のおもい、今のおもいをお話しました。そのお話を二十八の瞳(本当は三十の瞳のはずでしたが、当日体調を崩し一人の生徒さんが欠席でした)がまっすぐにそして真剣に聞いていました。  闘病中の宏典のぱんぱんに膨れ上がったお腹の映像や私の口から聞く、命の危機....中学2年生のその胸にたくさんの感情が動いていることが伝わってきました。宏典の闘病の姿から、そして命の危機をたくさんの人のおもい(祈り)に支えられ乗り越えたその姿から、そして助けたい一心で尽力した人の姿から、生徒さんの心にはたくさんの種がまかれたことでしょう。
 いつの日か、その種が芽をだし、いろいろな場所でいろいろな場面でたくさんの花を咲かせてくれることを心から願いたいと思います。
 多感な時期の生徒さんたち、これからたくさんの困難にもきっとぶち当たることでしょう。もうすでにぶち当たっている子もいるかもしれません。どうか、そんなとき、命の崖っぷちで今も必死で闘っている小さな命が沢山あることを思い出し、乗り切っていってほしいと思います。
 そして、自分がそれを乗り越える強さをもっていることを信じて欲しい。宏典も私たちも、これからもたくさんの壁にぶち当たることでしょう。ぶち当たるたび、命のがけっぷちで闘った事、そして今もその崖っぷちで闘う命がたくさんあることを思い出し、今日の命にありがとうを沢山言いながら乗り越えて生きたいと思います。


「保育園のクリスマス会」
   11月から通う一般の保育園のクリスマス会が12月20日にありました。11月の中旬、宏典は久しぶりの風邪からくる高熱がでてしまい、熱は3日でおさまったのですがしっかり治るまで様子をみたので、2週間近く保育園を休んでしまいました。
 クリスマス会の練習をほとんどできなかったので、自分だけうまくできないと、「がっかりしてはかわいそうだな」と、ちょっと心配をしていましたが、そんな心配はいりませんでした。覚えていないところがほとんどでしたが、横眼でちろりちろりとお友達の動きを見ながら、なんとか動きを合わせ最後までやりきりました。歌も前半はしっかりと歌い後半は口パク....笑。園児服を着て、ステージに立つ宏典の姿は眩しくて、嬉しくて、ありがたくて。
 保育園の生活に向けて、順調にステップアップして来ることができたのは、今の保育園に通う前の施設の保育士さんたち、そして今の園の保育士さんたちの温かいまなざしを持って遅れのある宏典を受け入れてくださったお陰と宏典を仲間として優しく受け入れてくれた園のお友達のお陰だと感謝しています。
 劇のブレーメンの音楽隊では、泥棒の役を大好きなお友達と一緒にこなし、ピアニカの演奏は左手でなんとなく一著前に弾き(音はまるで違った所をひいていたような)、サンタさんの登場に目をきらきらとさせプレゼントをもらい、サンタさんと友達と一緒に記念撮影をしていました。
 11月のはじめ、泣きべそをかきながら保育園に通い始めた宏典は、今はすっかり園になじみへっちゃらで駆け回り、堂々とステージの上にたてるようになりました。段々と私の腕の中から離れ、逞しくなっていく宏典を嬉しく見ています。

平成20年11月15日

「移植者スポーツ大会・命の輝きを見つめて」

 10月24日25日と栃木県大田原市で開催された全国移植者スポーツ大会に宏典も招待され、参加して来ました。宏典の参加した競技は、25m走、50m走(参加予定にはなかったのですが、本人が走ると言い出し飛び入り参加)、フリスビー投げ、ボール投げ、立ち幅跳びでした。一著前にジャージに身を包み、移植した子供たちの中では、体は一番小さいくらいでしたが、負けん気が手伝って、一生懸命参加してくれました。途中、おもしろいハプニングがありました。50m走も走るというので、同じ年に移植手術を受けた女の子とスタート地点に並びました。「用意!ドン!」一生懸命に手をふり、走り始めました。  ところが、25m付近で失速。立ち止まってしまいました。しばらく様子を見ましたが走り始める気配はなく、慌てて母親がかけつけ、おんぶでゴール!後で本人に聞いてみたら、「だって、女の子が速くて遠くにいっちゃったんだもん。」とのこと。きつくて立ち止まったのかと心配した関係者は、思わず苦笑でした。
 それにしても、はじめ気が重く、遠くはるばる駆け付けたこの移植者のスポーツ大会は、素晴らしいものでした。特に大人の移植者の方々の喜びにあふれた輝く笑顔が印象的でした。ここに生きているという喜びがこちらにまで伝わってくるかのよう。今年、初参加の若者は、今ここに生きて参加しているという嬉しさで涙がとまらなかったと言っておられました。子供たちも苦しい闘病生活を思い描くことすら難しいくらい、体も回復し、元気いっぱい走り回っていました。皆、移植手術を受けなかったら..ドナーに巡り合えなかったら..今はここにない命ばかりです。
 眩しい眩しい光景があちらこちらにあり、”命の輝き”を目の当たりにする大会でした。大会関係者や報道関係者の方々もにこやかにその姿を見守り、そのたくさんの温かい眼差しで会場全体がふんわりあたたかい空気に包まれているようでした。そこに居た誰もが、きっと、幸せな気持ちに包まれていたことでしょう。
 夜の懇親会では、何も言わずともこれまでの苦しみを理解できる者同士が、まるで戦友と話すかのように心をわって会話を楽しんでいました。宏典も、メダルを首にかけてもらい大満足。その後の合併症やいろんな症状を抱え、きつい思いをされている方もおられましたが、皆笑顔で、来年の再会を約束してその地を後にし ました。そこで私たちは、これからも強く生きていくたくさんのエネルギーと勇気をいただきました。


 宏典の走る姿が地元の新聞社に取り上げられました。新聞の記事は下記からご覧になれます。
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/local/news/20081025/68353
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/local/news/20081025/68290

「保育園」
 これまで、特別支援の児童のデイサービスに保育園への足掛かりとして母子ともに通って来ました。そこを宏典は「ぼくの保育園」と言って、先生方の温かいご配慮の中、病院や家とは違う施設(1歳からの闘病でこれまでに他の施設の経験が宏典はありません)で過ごすということに徐々に慣れ、本人の自信もついたようです。
 そして、いよいよ、11月から一般の保育園に。感染症や本人の経験不足の問題から、家から2つ目に近い、少人数の保育園を選びました。初めの1週間、本人の緊張をとるためと先生方に安心していただくため、母親がついて登園しました。そして、ついに今、一人で園に行っています。さすがに朝は玄関のところで泣いてしまいますが、後はへっちゃらで楽しく過ごしているようです。良かった。
 宏典のいない家で過ごしながら、忙しかったこれまでにちょっと一息つき、一人で保育園に行ける日を迎えることができたことを心から嬉しく、ありがたく、幸せに感じています。もう駄目かもしれないと言われた宏典が、今、こうして元気に保育園に行けています。奇跡の命を生きる宏典。いつも、たくさんの方々への感謝の気持ちと今日という日への感謝の気持ち、そして心の中にたくさんの幸せを育むことを大切に生きていきたいと思います。

平成20年10月9日
「5歳の誕生日」
 10月2日。宏典は5歳の誕生日を迎えることができました。3歳の誕生日は難しいと言われた宏典が今、ここに元気に過ごしておりますこと、改めて、応援してくださった多くの皆様、医療関係者の皆様、そしてドナーになってくれた子とその家族、最後まで必死に生き勇気を与えてくれた共に闘って逝った戦友たち、そ して家族にたくさんのありがとうの気持ちでいっぱいです。
 この日のお誕生日は、地元のラジオ局FMアクアさんの計らいで、宏典に「頑張れ命」の歌をつくり、わたしたちを支えてくれた歌手のモンキーラビットのお二人との感動的な対面も実現しました。アイマスクをして連れてこられたお二人。もちろん、お二人にも、宏典にもこのことは聞かされていません。「うわあ!もし かしてひろくん?」の一言から嬉しいお誕生会ははじまりました。
 ビデオレターでいつも、見ていたお兄さんたち。照れくさくてはずかしくて、まともに顔がみられません。会の中盤、ギターも隠して用意をしてくださっていたアクアさんの粋な計らいで、お二人が歌をうたってくださることになりました。
 
 「頑張れ命」、「ハッピ ーバースデイ」、「スマイル」。それはそれは、楽しいひと時でした。「頑張れ命」と「スマイル」は、病室でずっと聴いていた曲です。とくに「頑張れ命」は、ニューヨークの病院のICUでのBGM。どれほど支えられた曲かわかりません。歌詞の中に「元気になったらどこかに遊びに行こう。」というのがあって、本当にその 時が来ますように...元気になって、お二人に対面できますように...と願い続けたあの日がつい昨日のことのように蘇ってきます。そして、今、目の前にお二人がいて、宏典はにこにこしてその曲を聴いている。なんとありがたい幸せな光景なのでしょう。本当に嬉しい嬉しい一日となりました。闘病中、ずっとラジオを通して宏典を応援し続けてくださったFMアクアさん、そしてこの対面を果たしてくださったFMアクアさんにもこころから感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

 会も終わり、皆さんが帰られた後、子供たちは興奮が冷めやらないようで「頑張れ命」と「スマイル」の大熱唱。何度も何度も歌っていました。夜眠るとき、宏典は、「ひろくん、今度お兄ちゃんたちと海に行くんよ。」と嬉しそうにお二人との約束を父親に話していました。
 
 お忙しい時間をさいて会いにきてくださった、モンキーラビット。どうか、これからも人の心に響く歌を歌い続けてください。お二人の歌に支えられて闘いを乗り切った小さなファイターがここにいることをいつも胸において。地元ラジオ局FMアクアさん、闘病中から今も変わらず宏典のことを心にとめてくださって、嬉 しい限りです。ありがとうございます。  


「宗太郎君ありがとう」
 宏典の入院していたコロンビア病院にマイアミで多臓器移植を受け、転院してきていた宗太郎君が、その闘いを終えて神様のもとに逝きました。
 私たちは直接は関わったことがなかった宗太郎君ですが、宏典と同じ病院、そして同じサポート団体からのサポートを受けていたということもあり、とても身近な存在となっていてその回復を祈るように応援していました。多臓器の難しい移植手術を乗り切り、術後の経過をたどっている途中でした。

 ドキュメンタリーでとりあげられ、その映像ではじめておかゆさんを口にする宗太郎君の嬉しい顔が忘れられません。宗太郎君の闘ってきた姿、絶対に忘れないよ。宏典と同じ日に移植手術となり亡くなったショーン、そして宗太郎君...私たちは、宏典の闘った姿とともにこの子たちの闘った姿を伝えていかなくてはならないなあと感じています。そこに生きた証として。宗ちゃん、よく頑張ったね。最期は、お母さんの膝の上で眠るように逝った宗太郎君のご冥福を心から祈りたいと思います。そして、長い間ともに闘い続けたお母さ んの我が子を失った悲しみを時間の経過が優しく包んでくれますことをただただ、祈るばかりです。宗太郎君、たくさんの勇気をありがとう。これからは、大好きなお母さんとそして病気で苦しむ子供たちをどうか見守ってあげてね。あなたの懸命に生きた姿、忘れないよ。

平成20年9月13日
「薬の副作用」
 8月の外来で腎機能が少し悪くなっていることが先生から告げられました。
免疫抑制剤を飲み続けることによって起こる薬の副作用です。飲み続ける限り肝臓や腎臓などの臓器への負担は免れず、これから先もそれらの機能の状態をしっかりとチェックしていく必要があります。
 告げられた日はなんだか悔しくてたまりませんでした。移植した心臓を守るために飲む免疫抑制剤が他の臓器に負担をかけてゆくのです。拒絶反応を抑えるため免疫抑制剤は飲まないわけにはいきません。他の臓器を痛めていくことが分かっていながら飲み続けなければならないということが、はがゆく悔しいところです。それでも移植した臓器をもつ体を守ってくれているのもこの免疫抑制剤です。薬の開発が進み他の臓器への影響の少ないものに変わることを願うしかありません。


「奇跡の時間」
 先日珍しく落ち込むことがあり、しんどい思いをしている時「はっ」と気がついたことがありました。移植手術に、もし進まなかったら宏典は今ここにいなかった。たくさんの方々の善意の力、祈りの力。そしてドナーになってくださった方のおかげで宏典は今奇跡の時間を生きているということ。
 本当なら味わうことのできなかったおいしいごはんを沢山食べるということ、走り回って遊ぶということ、お風呂に入るということ、兄弟でじゃれあうということ、家族みんなで眠るということ・・・。
 宏典は今、本当に嬉しそうに、楽しそうに、そして幸せそうに笑って過ごしています。あのままだったら全て味わうこ とのできなかった時間。尊い今。
 宏典の奇跡の時間が永く永く続いていけるように私たちは親として守り続けてあげなくてはなりません。そして、宏典の成長を見届け、私たち親が先に逝き、その時が来た時には迎えに来るという一番の願いを全うできるように。子を持つ親なら誰でもの願いです。
 たくさんの方々に感謝し、ドナーの子供さんに感謝しながら・・・、そしてこの奇跡の時間に感謝しながら、尊い一日一日の時間を過ごして行きたいと思います。落ち込んでいる暇はありません。親としてもっともっと強く、そしてたくましくならなくては。

平成20年8月6日
「もう入院しませんように」
 阪大外来を終えてこのたびは車で行っていたため、琵琶湖まで足を延ばし比叡山の延暦寺に寄って帰りました。延暦寺の御本尊は薬師如来であったため、子供たちに「病気を治してくださる仏様だよ。」と簡単な説明をすると兄たちはそれぞれのお願いをしていました。
 そして、宏典はなんて言うのだろうと一緒に手を合わ せていると、「ひろくんが、もう入院しませんように」....なんだか、心が締め付けられる感じがしました。
 幼かったとはいえ、入院生活のあの闘病の時間はつらいものであったとしっかりとわかっているのでしょう。誰も何も言わないのについて出た言葉がそれであったことに、宏典自身がどれほど必死に闘ってきたのかつら い思いを乗り越えてきたのかが親の私たちにはひしひしと伝わり、なんとも言えない気持ちでした。薬師如来様にどうぞ宏典の声が届いていますように。

平成20年8月1日
「花火大会」
 先日、地元長門仙崎の花火大会がありました。宏典も大はしゃぎで兄たちと初めての夏祭りを楽しみました。出店もお祭りの雰囲気もはじめての経験です。もう嬉しくてうれしくて仕方がありません。
 どのお店の前で足をとめるかなあと夫婦で興味深々に見守っていたら、やはり蛍光に光る剣の前でした。じいっと見いって「ひろくん、これ!!」とはじめてのお祭りでのお買いもの。得意げに光る剣をもち、ご満悦で道路を闊歩し、いよいよ花火の打ち上げ。ヒュルルルル ドッカアン!!「うわあ!おっきいね。今のすごかった。」「ひろくん、緑のがいい!」目を輝かせて空を見上げています。

 三年前の仙崎花火大会は病気を告げられた年でもあり、人混みを避けて遠くの車の中から。
 二年前の夏は、お兄ちゃんたちと病院の病室から家族で遠くにあがる下関の海峡花火を見ました。来年も再来年も宏典とこうして花火を見ることができるのだろうか...花火を一生懸命見ている3人の子供たちのこの後姿をもう一度見ることができるだろうかと涙のこぼれそうになるのを必死に抑えながら、宏典と一緒に見る花火を心に強く焼き付けておこうと必死だったのを思い出します。
 最期かもしれないと思ったあの花火、そして今年また家族そろって見ることのできた花火。今年の花火は、なんだか闘い抜いた宏典の命を祝福してくれているようであり、そして見上げる人々みんなの命の輝きを祝福してくれているようでもあり、昔から日本人の愛してきた花火をこんなに感動的に思えることが嬉しくもありました。

 来年も再来年もこうして家族そろって花火を見あげることができるように、そして共にこの花火を見上げる人たちもまた来年も再来年も元気に見上げることができるようにと、大空いっぱいに花開く花火と膝の上で嬉しそうに見上げている宏典の笑顔に思わず手を合わせて祈っていました。


「ロングドライブそして嬉しい再会」
 このたびの阪大への外来は、夏休みということもあり思い切って車で家族全員で行きました。7時間の長い長いドライブです。後部の座席に兄弟3人が座り、時には喧嘩、時には闘い、時には大笑いをしながらのハードな道中でした。それでも、いつもの大阪に向かう道中に比べて、乗換えや大きな荷物を抱えて途中で歩く のをやめてしまう宏典を抱きかかえての道のりよりは、少し楽な感じもしました。

 そして、その日はとても嬉しい再会もありました。ニューヨークでの生活をサポートしてくださっていたH.T.HのM家の皆さんが日本に帰国しておられ、会いに来てくださったのです。目を見張る成長をしている宏典に驚かれ、口も悪く、わんぱくになった宏典を嬉しそうに見つめ、抱きしめてくださいました。
 あの苦しい時間を支え、そばで心を寄せてくださった方との再会は私自身も大変うれしく、改めてその家族の皆さんとの心の深い結びつきを感じました。本当に苦しい時、心を寄せ心を通わせた人たちの存在は時間を経てもなお温かいものが溢れ出てくることを改めて感じました。こうしてホームページを見てくださっている方々をはじめ、宏典の闘病が引き合わせてくれた沢山の出会いを私たちは心の宝ものとし、大切にしていきたい思います。
 翌日の病院では、宏典は「血液検査の注射なんてへっちゃらさ!」とばかりに大人びた調子で採血をしてもらって得意げに「ひろくん、泣かんかったけ?」と兄たちに報告。兄二人にもいつもどんな感じで弟が月一度の検査を受けているのかを知ることもできて、よい勉強にもなりました。

 長時間の長旅となりましたが、宏典にとっては家族一緒の楽しい時間であったためか、帰ってからの次の日も大きな疲れも出ることなく元気にすごしています。4年前の家族旅行以来の家族での楽しい旅となり、こんな幸せな時間を再びもつことができることのありがたさを深く感じました。
 外来での検査結果も異常なしということで、引き続きしっかりと体の管理を行っていこうと思います。

平成20年6月29日
「ホルダー心電図」  以前から、ちょっと気分が悪くなった後眠ってしまい、起きては吐くという気になる症状があり、ホルダー心電図で心臓の機能から来てはいないか念のための検査をしました。
 ホルダー心電図とは24時間心電図をチェックし、活動状況とを記録し、心電図と照らし合わせながら異常を見つけていく検査です。検査結果上は、心臓の機能から来ているという心配はなさそうだということで、今後どのくらいの頻度でその症状が現れてくるのか長い目で観察していきましょうということになりました。心臓の機能から来るものではなさそうだということでひとまずほっとしました。
 引き続き、この症状については注意深く観察していこうと思います。活発に遊んだり、興奮して遊んだりした次の日などに起こることが何回かあったことから、「本人は無意識に遊んでいるが体にはちょっと無理がありそういう症状で出ているのかも知れないので、1年前のあの状態からの今ということをしっかりと頭に置き、周りが少し抑制してあげる必要がある」とお医者さんにもアドバイスをもらいました。元気に見えても本当にそうだな、瀕死の状態からの今なのだと私たちも自分自身に言い聞かせなおしているところです。


「ぼくの保育園」
 医師から保育園に行く許可がおり、長い期間闘病し集団の中に入る経験をしたことのない宏典は、市内にある未就学児のデイケアセンターに保育園へのステップとして通い始めました。
 母子一緒に通う施設で工夫ある活動と熱心な先生方、そして温かい雰囲気に助けられ、宏典もすっかり気に入り、「今日も保育園に行く!(本人はお兄ちゃんたちも行った保育園だと思っている)」と楽しみに通っています。
 ただ、免疫抑制剤を飲んでいることから、感染症の子が出るとしばらくお休みしなければならないのでなかなか続けて行けないのですが、これは小学校にあがっても、中学校にあがっても免疫抑制剤を飲む限り宏典にはずっとついてまわることなので、今から心しておかかなければならないなと痛切に感じています。
 それでも、こうして家で過ごし、保育施設にも行ける日があることはとても幸せなことなのだから、今のこの状況もありがたく受け止めていきたいと思います。「ぼくの保育園」でのお気に入りは、カラーボールのたくさん入ったプールです。私も一緒に入れられ二人でカラーボールのちょっと冷たい感触を楽しみながらボールの中に埋もれています。まだまだみんなと椅子に長く座れなかったり、先生へのあいさつが照れくさくて言えなかったりですが、階段を一歩一歩あがるように前進していけたらなと思います。

平成20年5月25日
「たくさんの経験」
 昨日パパさんが今年初の蛍をみつけました。夜眠る前に子供たちの眠る部屋にもってはいったものだから、大騒ぎです。宏典も目をらんらんとさせ恐る恐る蛍にさわり、そおっと、そおっと手のひらを開いたり閉じたりしながら初めて手にする蛍を楽しみ、やさしく外にかえしてあげていました。
 「また来てね、お家に帰るんだよ。ばいばい!!」子どもたち3人で今年初の蛍くんを見送り私は蛍の儚げな光になんて幸せな瞬間なのだろうと、子供たちとわずかな時間を精一杯生きる蛍を思わず感慨深く見つめてしまいました。
 宏典は、順調に成長し、顔つきもお兄ちゃんらしくなり、背もずいぶん伸びました。保育園に行く許可が出たので、今週から少しずつ試しているところです。初日は、1時間くらい遊んだところで気分が悪くなってしまい、帰ってきました。
 実はひとつ心配な症状があり、それがたまたま当たってしまった感じです。この症状については今ホルター心電図などつけたりして検査中ですが、心配になると黒い雲はふくらむばかりなので、大丈夫と決めて雲は吹き払い、毎日生活しているところです。ですので皆さんも心配せず、「ひろくんは大丈夫」と信じてよいエネルギーを送ってやってくださいね。
 ゴールデンウィークのある一日は、半日楽しく公園で遊びました。はじめて遊ぶ遊具がたくさんあって、宏典も高いところまであるジャングルジムにパパさんと果敢にチャレンジ、ほんと怖いもの知らずでどんどんお兄ちゃん達のすることは自分もできると思いこみ挑戦するので見てる方ははらはらドキドキ。日曜日には、 地元のお魚まつりがあって、魚を触れるコーナーではトビウオやサメの子どもをわしずかみ、ヒトデもハリセンボンもなんのその。益々、やんちゃ坊主に磨きがかかってきました。管理上、してはならないこともいろいろとあり、自分もやりたいという気持ちとこれだけは守って生活しなければならないというところで欲求と我慢の葛藤が成長に伴いいろいろと出てきそうです。


「MくんとMくん母との再会」
 ゴールデンウィークの最後の日に、日本の病院で一緒に入院していたMくんに会いに行きました。Mくんは現在14歳、生まれてすぐに病気がわかり長い間闘病してきました。とっても利発でお母さん思いのとってもかわいい男の子です。お母さんは実に献身的で明るく、そして強い人でもう10数年もの間夜中の点滴等の管理で朝まで熟睡したことがありません。一緒に入院していた当時も、Mくん母も私もがちがちな体に、長い入院生活は体にこたえるねとよく二人で頭痛薬を飲み、その労をねぎらい合っていました。そして、移植への道に迷い迷っている私の苦しみを一番理解してくれていたお母さんでもあります。
 私は、今こうして宏典が命の危機を脱し、当時に比べたら全然気の楽な日々を送らせてもらっていますが、Mくん母は気の休まらない日々をずっと送り続けているのです。何もできない私は、Mくん母の体が少しでも楽になればとマッサージをさせてもらいましたが、背中も肩もすべて信じられないくらいガチガチです。私の指はその硬い背中にことごとく跳ね返され、どこまでほぐすことができたのやら。しばらく、再開の時間を楽しみ、一緒に写真をとりお別れとなりました。Mくんは現在貧血がひどくしんどい体ですが、宏典との時間を大切にしてくれ見送りも出てくれました。最後は、もう目がつぶれているのに手をふってくれて。Mくん、Mくん母、何もできない私たちだけどずっとずっと共に闘う同士として、そして支え合う仲間としてこれからも共に応援しあってそして強く笑って行きましょうね。
 Mくんの調子のよい笑える日が多くありますように。次は夏の再開を約束した二人、その日が今から楽しみです。それまでそれぞれの場所で頑張りましょう。

平成20年4月30日
「定期外来」
 月に一度の大阪大学附属病院への定期外来では、移植を受けた子供たちやその親御さんたちと会える移植した家族の交流の場にもなっています。4月末の外来でも、宏典を含めて6人の子供たちが集まりました。
 親たちは、そこで、ちょこちょこ起きたいろいろな症状やその時の対処の仕方など情報交換を行います。移植手術から1年あまりの私たちにとって、先輩のお母さん方から聞く情報は心強く、そしてまた、同じ移植後の子供をもつ親としての様々な心配を共有できる仲間として支え合っている感じがします。
 移植仲間の子どもたちは、一番上のお姉ちゃんを中心にみな一緒に遊びます。いつも男の子は宏典だけなので、お姉ちゃんたちにあれやこれやとお世話をやいてもらいながら、とっても楽しそうです。
 バラエティ番組が大好きな宏典は、おどけて芸人さんの真似をしてみたり、得意の一人闘いごっこ(闘いをしてやられる真似)をしてみたり。両手をお姉ちゃんたちにつながれた宏典の顔は、なんとも嬉しそう。家では、兄二人となかなか激しい遊びの多い中、女の子の優しい関わりは、なんとも言えない心地よさがあるのかな。

 今回の外来では、身長が97.5cm体重18.2kgでした。身長は、帰国時より9.5cm体重は3kg以上増えたことになります。走る時の足もまあまあ上がるようになり、宏典のペースで成長発達を取り戻しているようです。このたびも、みんな元気な顔で会えて良かった。ここで会う移植した子どもたち の成長が本当に楽しみです。皆がとびきりの笑顔でいられますように。


「いつもありがとうございます」
 移植から1年以上経った今も、宏典のホームページを1日100人以上の方が見てくださっています。いまだに多くの方に見守っていただけていることが、とても心強くありがたい気持ちでいっぱいです。いつもありがとうございます。この近況報告を通して皆さんに何が伝わっているのか、何を伝えたらいいのか手さぐりしながら近況を綴っています。これからも、もしよろしければこれまで同様宏典を見守っていてください。そして、宏典の成長や元気な姿が少しでもこのホームページを開いてくださっているみなさんの元気のエネルギーやちょっとした心の栄養になってくれていたなら、本当に嬉しいことです。どうか、今日も一日見てくださって いるあなたが幸せに包まれて過せますように。今日の命に感謝できますように。これからも、よろしくお願いします。

平成20年4月10日
「さくら さくら」
 桜の花も咲き誇り、春真っ盛りな季節となりました。去年は、腹水が溜まり始めてから外には一切出なくなり、病院の長いベッド生活から、再び初めて自分の足で外に出て歩いたのが、たくさんの桜の木が植えてあるコロンビア子ども病院の中庭でした。
 グリーンの芝生がとても眩しく美しい中庭で、たくさん植えてある桜の木がピンクのやわらかな花を風にくすぐらせて、命いっぱいに咲き誇っていました。宏典は、まだリハビリ中で私にしがみつきながら、ゆっくりゆっくり足を運んで、落ちている小枝をふむ「パキンッ!」というのが楽しくて楽しくて。辛いリハビリに泣いていた宏典も、この中庭では無意識に足を動かし、両足で立つ時間が長くなって、しかも笑顔でよいリハビリができたのでした。
 今年は、日本の桜の木たちを眺めながら、あの中庭の桜もとってもきれいだったけど、やっぱり日本で見る家族そろっての日本の桜は格別だなあと、今日、家族そろって桜の花を見ることのできたことに感謝しました。
 宏典も大はしゃぎで、お兄ちゃん達について駆け回ったり、最後には土手をよじ登ろうとしたので、土を触ることの良くない宏典を慌てて、抱き下ろし、そこでアクシデント!抱き下ろす際、腰をひねってしまい、ぎっくり腰になってしまいました。嬉しい一日に痛いアクシデントとなってしまいました 笑。
 これからも、歩けなくなって、外に出て再び土の上を歩くことのできた時のあの喜びを、時折思い出し、いつまでも忘れないようにしたいものです。
 今年も、コロンビア子ども病院の桜たちは、あの中庭でたくさんの患者さんやその家族たち、そして職員の方々の心を癒してくれていることでしょう。自然の偉大で美しい生命力は、いつも、どの時代も、私たち人間の心を癒し、強く生きることをやさしく諭してくれるように思います。


「命のうた (モンキーラビット)」
 久しぶりに、宏典のためにモンキーラビットという二人組の歌い手さんがつくってくださった「頑張れ命」を宏典が口ずさんでいた。「わずか 三歳の小さな命に おそいかかってきた大きな壁・・・何が僕にできるだろう 何が君にできるだろう ・・・・君よ聞こえてますか ぼくらのこの声が・・・君に聞こえるといいな・・・一人じゃないから 一人にはしないから・・・みんながそばにいるから」鼻歌交じりで、楽しそうに自分の歌をうたっている。
 急いでCDをかけると何度もご機嫌で歌い、モンキーラビットの他の曲のリクエストもかかった。(「スマイル 」)そして、「おさるさんのお兄ちゃんとうさぎさんのお兄ちゃん、いつ遊びに来るんかね?」(歌詞の中に「元気になったらどこかに遊びに行こう」というのがあってそれを言っているようです)といい、この前見たポスターのお二人が髪を切られていたため、いつもDVDの画面の中で話かけてくださっていたお二人とは違うらしく、「でもお兄ちゃん達、違ってるからわからんね」などと言っている。
 入院中何度も何度も聞いていたこの曲は、やはり今も宏典のお気に入りです。三歳でこんな素敵な命の応援歌、ラブソングを贈っていただいた宏典は、辛く苦しいこともたくさんありましたが、幸せ者だなと思います。モンキーラビットさん、世界にたったひとつのすてきな曲をどうもありがとう!今度は応援する側にまわって、お二人の活躍を見守らせていただきたいと思います。これからも、人の心に響く曲を、なぜかぽっと心温まる曲を、心をのせて届けてくださった「命のうた」のように、作り続け、たくさんの方に心で歌い続けるそんな歌手であり続けてくださいね。

平成20年3月28日
「大きくなったら仮面ライダーになる!」
 最近、朝起きると、「俺!ようやく参上!」といって、二階から顔を出します。仮面ライダー電王のセリフです。毎朝、つい吹き出してしまうのですが、本人は、その登場の仕方がとても気に入っているようです。
 「仮面ライダーみたいに強くなるには、どうしたらええんか(良いのか)?」と聞いてくるので、「ごはんをいっぱい食べて、牛乳飲んで、たくさん遊んでいい子だったら、仮面ライダーみたいに強くなれるかもしれないね。」というと、牛乳を頑張っておかわりして飲む始末。入院中、ベッドの上で、ずっと仮面ライダーのDVDを見ていたせいでしょう、戦いごっこが相変らず大好きで、「俺は、愛と自由と平和を守るんだ!」が最近の決め台詞。しかも、昭和40年代の仮面ライダー1号2号V3が、一番好きなので、私たち親の世代とライダーの話が真剣にできるから、笑ってしまいます。

 1月にインフルエンザにかかって以降は、ちょこちょこ風邪などの感染症をもらい、すっきりと調子の良い日が少なかったのですが、ようやく春を迎え、宏典も調子の良い状態が続いています。やはり、インフルエンザのような強い感染症の後は、抵抗力が落ちるためか、ちょこちょこ感染してしまうのでしょう。いずれも、大事に至らず、家で無事乗り切ることができました。
 そして、腹水が相当溜まっている期間が長かったため、術後、腹水が抜けてもペンギンさんのようにお腹を少し前に突き出したような体型と歩き方でしたが、この頃は、お腹の皮もしまり、ずいぶんとすっとした体型になってきました。
 帰国時の体重は、15.8kg前後でしたが、今は17.6から18.0kgになりました。身長も、88cmだったのが今は94.5cmくらいになりました。すくすくと体も成長してくれ、顔も丸顔から、ちょっと面長になって、お兄ちゃんっぽくなってきたような気がします。2年近く、成長の止まっていた宏典ですが、お陰さまで、体も心もすくすくと成長してくれているようです。嬉しい限りです。

平成20年2月23日
「移植手術から1年」
 昨年の今日、2月23日深夜から24日未明にかけては宏典の移植手術が行われました。あの日から丸一年。この一年何事もなく無事に過ごせた事に安堵しています。手術の2日前に、これ以上悪くなると、もう移植手術もできなくなるかもしれないと言われたことを思い出すと、今ここに元気な宏典がいてくれることが本当に 嬉しくて、ありがたくてたまりません。
 それと同時に今日は、ドナーのお子さんの命日でもあります。ドナーのお子さんの代わりに大切にしている天使の絵の前に宏典と花をそえ、宏典の中に生きるその子にあらためて、「ありがとう」の気持ちを伝えました。宏典は、毎晩、眠る前に「天使ちゃん、今日もありがとう。おやすみ。」と言って眠りについています。
 そして、24日は宏典と共に1か月あまり移植手術を待ち続け、同じ日にドナーが現れ、移植手術となったアメリカの1歳の男の子の命日でもあります。
 その男の子は、手術の途中で亡くなってしまいました。その子は、宏典よりも状態が悪く、エクモという機械に頼って命をつないでいました。移植までの待機の間、その子の お母さんの誕生日に3羽の親子の鶴を折って贈ったことから、その子のご両親は宏典の病室に吊るされていた千羽鶴に興味をもたれ、ついには、その子のために千羽鶴を折りあげたのでした。その千羽鶴を折るのに、たくさんの病院スタッフも協力し折り上げたことから、宏典とその子と同じ日の移植手術とわかった時、病院のフロアは「日本の千羽鶴がうんだ奇跡だ!」とそれはもう、わきかえったものでした。

 待機の間、状態の益々悪くなる宏典に寄り添い、移植手術の2日前には、「これ以上、悪くなれば、移植手術も受けられなくなります。」と言い渡された私を、支えてくれたひとつが、その子のお母さんとお父さんのわが子の回復を信じて鶴を折り続ける姿でした。共に励まし合っていたその子のお母さんと、同じ日に移植手術が受けられることになったとわかった時、「待ち続けて、待ち続けて、今日が二人の新しい誕生日になるのね。」と彼女が言い、互いに抱き合って泣きました。
 宏典は、朝から手術に向い、その子は夕方からの手術となりましたが、翌朝、心配で覗いたその子の部屋にその子はいませんでした。同じ日に移植手術となり、生死の明暗をわけてしった二人の運命は、あまりに辛く悲しい事実でした。それでも、辛い待機時間の気持ちを分かち合っていた母親同志のつながりは深く、今も 親交を深めています。その子のお母さんとは、「その子は天使となって、病気で苦しむ子どもたちを励まし見守るお役目を、宏典は命の瀬戸際から元気になったその姿をもって、多くの移植手術でしか助かる道のない子供たちの希望の光となるお役目を神様にいただいたんだね。病気で闘う子供たちが、たくさんの愛で包まれますように。いつか、病気に打ち勝てますように。いつか、この子供たちにとびきりの笑顔が戻りますように...と祈りましょう。」と話しています。

 闘病、移植への道、募金活動、渡米、移植手術、術後の経過...宏典が今ここに、元気でいてくれることは、1つの奇跡だけでなく、いくつもの奇跡が合わさってのことです。移植手術から、1年。この1年を無事に過ごせたこと、今日、ここに宏典が生きていてくれること、家族で家で過ごせること、たくさんのことに感 謝し、1日1日を大切に過ごしてまいりたいと思います。

平成20年2月17日
「術後1年目の検査」
 2月4日から、検査のための入院をしました。術後約1年を迎えるということで、カテーテル検査を行い、バイオプシー(心筋生検)等の検査、エコー、ホルダー心電図、血液検査、レントゲン等を行いました。
 検査の結果は、「すべて異常なし」ということでほっと胸をなでおろしています。バイオプシー(心筋生検)は 、拒絶反応をはっきりと知ることのできる大切な検査なので、毎回、検査結果を聞き、異常なしの言葉を聞くまでは、どきどきしてしまいます。今回も、よい結果で本当によかった。宏典は、「ひろくんは、仮面ライダーなんだから泣かない!ひろくんは、強いんだ!」といって、採血、点滴の注射もぐっと口をつむり頑張りました 。さすがにカテーテル室にはいり、母親と離れたときには、検査室に響き渡る大きな声で泣いていましたが。ずいぶんと強くなったものです。
 入院中は、今も様々な重たい病気と闘っている子、そしてその子供たちに心の内の涙はみせずに、笑顔を我が子に傾けるお母さんたちの姿にたくさん出会いました。1年前まで、命の綱渡りをしていた我が子に寄り添っていた時のことが、強く思い起こされました。そして、そのお母さんたちのたくましい姿に心の中で、「 頑張ってください!」と手を合わせていました。
 もう精一杯頑張っておられる方たちに、「頑張って」の言葉は、苦しくしてしまうのですが、もう精一杯の気力と体力のお母さん方に「どうか体をこわさず、その笑顔を傾け続けてあげてください。」との思いから、思わず心の中でそう言っていました。そして、今、いろいろな管理や制限は必要だけど、家で過ごせることがどれだけありがたいことなのか、点滴の針をささないでいられることがどれだけ笑顔をくまらせないですんでいることか、家族と暮らせることがどれだけ幸せなことか、もう一度胸に刻むことができた入院でした。 

平成20年1月29日
「ほのかちゃん、がんばれ!」
 1月29日に滋賀県の福本穂香ちゃん1歳が移植手術に向けてドイツに飛び立ちました。ほのかちゃんは、宏典が帰国してすぐ検査入院した阪大で知り合った子で、ご両親は募金しての海外の移植にふみきれずに重く悩んでおられました。そんなときに、宏典の姿をみて、移植の決断にふみきられた家族です。
 これまで、何度もくじけそうになるほのかちゃんのパパとママを私たちがしてもらってきたことの恩返しになればとその都度励ましてきました。
 そんなほのかちゃん一家がドイツに向けて飛び立てた日に、ほのかちゃんと宏典のことが朝日新聞の夕刊、次の日の朝刊でとりあげられ、「いのち つながれ」「成功 宏典ちゃん 勇気くれた」という見出しで書かれ、移植への道を決断するにいたった心境がつづってありました。
 あの苦しい辛い日々を乗り越えた宏典は、4歳にして、人の一生を左右する決断に大きく関わる存在となりました。希望の光として。我が子ながら本当にこの子は多くの人に勇気を与える大きな存在なのだなあと改めて感じています。
 宏典と同じ日に移植手術となり亡くなってしまったアメリカの男の子のお母さんと、「アメリカの男の子は天使となって病気に苦しむ子供たちを守り助けるお役目を、そして、宏典は奇跡的に回復したその元気な姿をもって同じ病気に苦しむ子供たちの希望の光となるお役目を神様にいただいたの」と話したことがあります 。そのお役目をひとつ果たせたと思うとやはり嬉しい気持ちになり、天使となって子どもたちを見守るその子にも、一ついい報告ができるなあと思っています。
 福本さんご一家に対して、大きな責任も感じながら、どうか元気になって帰ってきてほしいと願うばかりです。
 この出来事がまた、宏典をよく知るみなさんの胸でよいエネルギーとなってくれると嬉しく思います。

 「インフルエンザ」
 とうとう、宏典もインフルエンザにかかってしまいました。はじめ、お兄ちゃんがかかってしまい、あわてて離しましたが時はすでに遅く、お兄ちゃんの発熱から2日後、高熱となりました。
 インフルエンザウイルスに効く、タミフルを内服し、熱は3日でおさまりました。咳と鼻水が残りましたが、どうにかインフルエンザは乗り切れたようです。
 ただ、この残った、鼻水等をなめているとまた、違うウイルスにもかかってしまったり、長引いたりしてしまうので完全に治るまでしっかりと管理していこうと思います。ちなみに父親、もう一人のお兄ちゃんもかかってしまい、母親以外は今年は全員インフルエンザにやられてしまいました。それでも宏典が、重症化せずに乗り切ってくれて胸をなでおろしているところです。

平成20年1月10日
「新年」
 あけましておめでとうございます。昨年は温かいご支援をたくさんの方々からいただき本当にありがとうございました。

 今年は、家族そろって自宅で新年を迎えることができました。今日の命に感謝し、今日の幸せに感謝し、心寄せてくださった皆様に感謝しながら、一日一日を大切に過ごしてまいりたいと思います。

 宏典も12月に二度軽い風邪の症状で熱を出しましたが、今のところ重症にはならずに自宅でやり過ごすことができました。インフルエンザがはやってきているのでまだまだ気の抜けない季節ですが、このまま乗り切りたいと思います。先日の一月の定期検診も異状なしでした。
 最近の宏典は、季節的に外にあまりでられないので家の中でカルタ遊びをしたり、仮面ライダーに変身してショッカーを倒したり、粘土遊びをしたりしながら過ごしています。冬休みはお兄ちゃん達がいて楽しかったようですが、また母親との時間となり少し物足りなさそうです。お兄ちゃん達が帰ると駆け寄り、相手にしてもらえなくなると「ひろくんと遊んでくれん!」と訴えにきます。兄弟げんかもよくみられるようになり、やられても負けていない宏典、なかなか頼もしい末っ子です。
 先日の晴れた暖かい日には、外でバットを持ってボールを打つ遊びや、家族5人でフリスビーをして冬休みの最後の日を楽しむことができました。

平成19年12月25日
「クリスマス」
 今日は、クリスマスです。今朝は、サンタクロースの贈り物に子供たちは大喜び。宏典も大興奮でサンタさんからの贈り物を私たちのところまでもってきて、「ママ!サンタさんが来たよ,ほら!」と声を弾ませながら一生懸命説明をしてくれます。サンタさんからの手紙を読んであげると頬を紅潮させながら一生懸命聞き入っていました。

 昨夜は、夫婦で去年の今頃の話、そしてこの一年の話をいろいろとしました。
 去年のクリスマスは、病院にいて宏典のおなかは腹水でパンパンでした。毎日、おなかに針をさして腹水をぬき、微妙な調整をおこなっていました。状態も徐々に悪くなっていて、今日生きてくれたことに感謝し、明日無事に一日生きられることを祈る毎日でした。

 病院の先生がサンタさんに扮し、宏典の大好きだった仮面ライダーのお人形をプレゼントしていただいたことをつい昨日のことのように思い出します。救う会のメンバーさんはクリスマスもお正月もなく、募金活動を展開してくださいました。仕事が終わり毎晩、2時3時は当たり前の毎日が続き、家庭を犠牲にして 宏典のために動いてくださっていました。救う会のみなさんも、今年のクリスマスはやはり、去年のことを思い出されていたようです。本当にありがたく、感謝してもしても足りないくらいです。
 宏典は本当に多くの方々に守っていただいたことを今改めて思います。
 
 今年も残すところ、後6日となりました。2007年が終わろうとしています。
 2004年から始まった闘病生活、日々宏典の命と向き合う闘いの連続でした。その中でもやはり、移植に進むと決断した2006年そして、新しい生命を吹き込んでいただいた2007年は、私たちにとって生涯忘れる事の出来ない年となり、多くの方々の温かい心と命の尊さを深く見つめなおす年となりました。
 2007年の残りの時間を今年起きた一つずつの出来事、応援してくださった方々、すべてのものに感謝の気持ちで過ごし、2008年という新たな年を宏典の笑顔とともに迎えたいと思います。

平成19年12月3日
「定期外来」
 帰国して、毎月大阪の病院に外来受診しながら、経過を管理しています。朝早くからの受診となるので、前の日から泊まりがけでいくようになります。今のところ、異常なしできています。行きと帰りの新幹線では、密閉空間に多くの人がいるので、大変気を使います。咳などしている人がいたら、違う車両に移るのですが 、満席の時は動けず、感染しませんようにと願うしかありません。
 当の本人は、新幹線にのって興奮状態で、眠るのがおしいかのようにはしゃいでいます。座席にじっとすわれるはずもなく、いつも後ろに座られる方のお世話になっています。毎回、子供好きの方にたまたま恵まれ、後ろの座席から、相手をしてくださり、ありがたいかぎりです。
 大阪の病院では、宏典と同じように移植手術を受けた、先輩の子供たちも受診にきており、親同士はそこで貴重な情報交換をします。生活ではどんなことに気をつけているのか、この時期にはどんなことに注意しなければならないのか...。新米の私たち夫婦にとっては、この先輩のお母さんお父さん方からの助言は ありがたく、そして心強いものとなっています。これからの、通院は特に風邪の流行の季節となり、最大の注意を払っていこうと思っています。
 宏典は、帰国時身長88cm、体重15.2kgだったのが、身長92cm、体重16.5kgとなりました。お陰さまで順調に過ごせています。

平成19年11月2日
「帰国後2か月」
 帰国後、2か月がたちました。
 お陰さまで、大変元気に過ごしています。外遊びが大好きで、すきあらば外に繰り出し、禁止されているどろのある斜面をすべって遊ぶ始末。  そして、稲刈りの終わった田んぼに入り、ばったを追いかけ、時にはうまく捕まえて、得意げに見せにきます。
 平日は、お兄ちゃん二人を送りだした後は、「まだ帰らんかね? 遅いね?」と兄二人が帰るのを首を長くして待ちわび、 帰るといっきにハイテンション、まぶりついて遊んでいます。本当にありがたいありがたい毎日が流れています。
 これから、だんだんと寒くなり、 風邪などの感染症も増えてくるので、細心の注意をはらって術後はじめての冬を乗り越えようと思います。

平成19年10月2日
「4歳の誕生日」
 10月2日。宏典は4歳の誕生日を迎えることができました。しかも、自宅で、家族みんなに囲まれて。
 リクエストの仮面ライダーの絵の描いてあるバースデーケーキにろうそくを4本立て、ハッピーバースデイの歌とともに、その火を勢いよく吹き消しました。
 2年半前、「3歳の誕生日を迎えるのは厳しいかもしれません。」と言われた宏典が、今こうして4歳の誕生日を笑って迎えているのです。親として、辛いことも多くありましたが、喜びいっぱいに満たされたお誕生日でした。
 自宅に戻り、いよいよ日本での生活がスタートしました。免疫抑制剤を飲み続けていること、感染症の多い日本の気候・・・と、これからまだまだしっかりと管理の必要な宏典ですが、親である私たちが生きている限り、しっかりと守り育てていこうと思います。宏典の中に生きる、もうひとりの天使ちゃんとともに。(ご両親からの報告)

平成19年9月11日
「我が家」
 日本の病院での検査や日本の薬への切り替えが無事に終わり、1年2か月ぶりに懐かしの我が家に戻ってまいりました。市役所で多くの方に出迎えていただき、興奮冷めやらぬなかでの我が家への帰宅となりました。
 宏典は、家に入るなり、お兄ちゃん達とかけまわり、嬉しくて嬉しくて仕方がない様子。疲れているはずな のに、夜眠るまで兄弟でじゃれあう姿に、夫婦二人は、この瞬間を迎えることができて、心からよかったと安堵いたしました。久しぶりに家族が全員そろい、にぎやかさを取り戻し、家も喜んでくれているようです。
 気候的に感染症多国の日本、これからは、薬の副作用に対するケアや、感染症に対するケアを今まで以上に気を引き締めてしていかなければなりません。
 ともあれ、今は、帰宅できた喜びと、家族がやっと一緒にいられる幸せにしばらく浸らせていただこうと思います。(ご両親からの報告)  

平成19年9月3日
「お別れ」
 バタバタと帰国の準備におわれ、いよいよ、7ヶ月間お世話になったニューヨークとのお別れの日が来ました。日本に帰れるという喜びとは裏腹に、術前からずっとお世話になってきた方たちとのお別れは、思い入れも関わりも強く、別れがたいものでした。
 宏典は、見送りに来てくださった大好きなお兄さんお姉さん、ひ とりひとりにお別れのキスをし、皆、泣いておられました。宏典を抱きしめ、お別れのあいさつをしてくださるその姿に、ここでも、宏典が多くの方に愛していただいていたことに強く感謝しながら、涙涙の出発でした。
 出発の後、宏典もその意味が解ったのでしょう。車の中で話しかけても何もしゃべらず、ずっと外を見つめてい ました。
 ニューヨークでお世話になった皆さん、応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。これからも、宏典の成長を見守り続けてやってください。お元気で。(ご両親からの報告)

平成19年8月13日
 ここ、ニューヨークの生活も長くなり、1月に来た時から考えると、もうすぐ7か月を迎えようとしています。
 2月の移植手術からは、6か月。ここまで、何事もなく、過してくることができました。帰国の話もではじめ、宏典は、自分の持って帰るおもちゃを決めて、今から袋に詰め込んでいます。やはり、家に帰れるということは、とっても嬉しいらしく、「ひろくんね、これとこれを日本に持って帰る。これもいれとこ。」と声がはずみます。まだ、日本の病院からの検査のための入院(帰国してそのまま1週間程度)の日程の連絡がきませんので、まだまだ具体的ではないのですが、それでも、あと一息です。
 こちらのカテーテル検査も残すところあと1回となり、この検査を無事乗り切って、帰国に向けての準備をはじめたいと思います。
 みなさんに元気になった姿をお見せできるのも、あと少し。楽しみにしていてください。(ご両親からの報告)

平成19年8月1日
「僕は、松井選手!」
 先日、ヤンキースの松井選手が特大のホームランを打ったのをテレビで見ました。
 そのホームランに私たちが大喜びをしたものだから、それ以来、お気に入りのスポンジボブの青い帽子をかぶり、「ひろくん、松井選手!」といって松井選手になり、おもちゃのバッドでゴムボールを打って遊んでいます。
 おもしろいことに 、戦いごっこをするときもその帽子をかぶり松井選手になることは、本人にとって、とても重要なようで、家の中でも帽子をかぶりっぱなしです。時々、頭が暑くなったと言って帽子をぬぎ、汗がひくとまたかぶり、松井選手に。
 「朝青龍」「お医者さん」「松井選手」ときて、お次は何になるのか・・・。楽しみです。
 ヤンキース の松井選手、あなたが激励のためにサインボールを送ってくれたちびっ子は、今、あなたになりきって、みなぎるエネルギーを爆発させています。松井選手も、がんばってください。(ご両親からの報告)

平成19年7月18日
「こぶとり爺さん?」
 先日、じゅうたんのはしに足をとられ、転んだところに机があり、ほっぺたを強打してしまいました。血液を固まりにくくする薬をのんでいるので、いつも少しぶつけても、内出血がひどくなります。今回もみるみるまにふくれあがってしまいました。
 急いで冷やしましたが、腫れはおさまらず、こぶとり爺さんのほっぺたのようになってしまいました。
 昨日ぐらいから、内出血のいろがでてきてしまい、ほっぺは黒く・・・。
 こちらでは、幼児虐待に対して厳しい取り締まりなので、勘違いされないかと、買い物のときはヒヤヒヤです。このこぶとり爺さん、このこぶが収まる頃、次のこぶをつくらなければいいのですが。
 こぶをつくるほど、活発になってきたことを嬉しく思いながら、生活経験はまだまだ少ないので、怪我等には十分気をつけなければならないなあと思います。 (ご両親からの報告)

平成19年7月5日
「素敵な夕食会」
 先日、こちらでお世話になっているボランティアのHeart to Heartのメンバーさんのお宅で、素敵な夕食会を楽しみました。
 こちらの病院についてから、今までずっとお世話していただいている方々です。宏典もすっかり、家族のように関わらせていただいていて、 この日は大好きな人たちに囲まれて上機嫌でした。おいしいお料理にギターの演奏もしていただきました。宏典の大好きな「大きなのっぽの古時計」も、 ひいてくださり、宏典もギターにさわってでる音を楽しませてもらいました。
 私たちも、苦しい時間を支えてくださったみなさんとの時間は、ほんとうにあたたかくて幸せな時間で、元気に動き回る宏典を見つめながら、 今こうしてあることの幸せとH.T.Hのみなさんに感謝の気持ちでいっぱいでした。 移植に進むと決めてから、今まで、本当に人に恵まれた宏典と私たち家族です。
今更ながら、ありがとう、ありがとうの気持ちでいっぱいです。夕食会を企画し、準備してくださったM家のみなさん、 お料理とてもおいしかったです。素敵な時間をありがとうございました。     (ご両親からの報告)

平成19年6月20日
「海は、しょっぱい」
 先日、こちらでお世話になっているボランティアの方たちの心配で、海を見にいきました。宏典は、今まで、通院の車の中から、海を眺めたことはありますが、直接触れるのは、生まれて初めてのことです。とっても、美しいビーチで、風はほどよく冷たく、とても気持ちのいい日でした。
 ビーチにつくと、宏典は、すぐに 小石集めです。波に洗われた石は、小さく丸くなっていて、白、ピンク、ベージュと、とてもきれいです。ビニール袋を片手に一生懸命拾いました。途中から、貝殻も発見し、それからは、貝殻に変更。気にいったのを見つけるたびに、「ママー!これ、みてー!」と報告です。
 ハプニングもありました。波を見せてやろうと、波打 ち際に連れて行った時、転んでしまい、そこに波がザブン!!!頭から、びっちょこになり、大泣きです。着がえをすませ、ひと段落したときに、「ひろくん、転んだよね。海は、しょっぱかったよ。」とケロリ。そのあと、抱っこで波と遊んで、海を満喫して帰りました。帰りの車は、疲れてぐっすり。今日も、嬉しい嬉しい 一日でした。 (ご両親からの報告)

平成19年6月8日
ドクターひろくん  聴診器をいっちょまえに耳にあて、私や、ぬいぐるみのわんちゃんたちに、もしもしをしてくれます。自分は、どうやら、お医者さんになってるつもり。 もしもしのあとは、きまってチックンタイム。 指の先を私の腕に押し当て、ぎゅうっと、かなり強くおしてチックンをしてくれます。宏典にとって、チックンはかなり痛いものなのでしょう。 終わると「元気になってよかったね?」「よく、がんばったね?」とよしよしをしてくれます。 その言い方は、宏典がこちらの病院でたいへんお世話になった日本人の先生の言い方によく似ていて、思わず笑ってしまいます。
 その先生は、こちらで手術も立ち会って いただいた日本の小児心臓外科の先生で辛い処置の後は、きまって、「ひろくん、えらいね?よくがんばったね?」と頭をなでていただいていました。 それをそのまま、真似て、ちびっこドクターは、今日も治療にせいを出しています。
 いつか、人の役に立てるような、そんなお仕事に関わるようになってくれるのかなあと思いながら、その姿を見守っています。 (ご両親からの報告)

平成19年5月26日
「横綱 朝青龍」
 最近、宏典がはまっているのは、お相撲です。「ひろくん、朝青龍!」といってしょっちゅう勝負をいどんできます。 ちなみに私は、いつも、ハクホウかコトオウシュウだそうです。
 塩をまき、いっちょまえにしこを踏み、あごをひいて、とり組んできます。からだのためには、とてもいいリハビリになるので、 よいのですが、夜眠る前まで勝負をせがまれるのですから、こちらの体力がもちません。 ボランティアのお兄さん、お姉さんにも相手をしていただきながら、体力がずいぶんとついてきました。
 ちなみに、最後の取り組みは、いつも朝青龍の大勝利でないといけません。(ご両親からの報告)

平成19年5月12日
運動会でのひろくん  今日は日本人学校の運動会に招待され、ドクターの許可をえて、見に行きました。 こちらで応援してくれていた中学生に囲まれ、恥ずかしそうに握手をしていました。 皆さんに「ひろくん!よかったね」と声をかけていただき、大変嬉かったです。
 グラウンドのグリーンの芝と大きな八重桜の木が満開でとても美しく、子供たちは生き生き伸びやかに運動会を披露していました。 宏典はタンポポの花を思う存分摘んで、もってかえり、「死んじゃうからお水にいれてあげんにゃ?いけん!」と一生懸命いけていました。
 いたわりの心が育っているのを嬉しく思います。それともうひとつ、嬉しいプレゼントがありました。
ニューヨークこどものくに幼稚園の子供たちから、宏典にステキな絵と手紙のプレゼントでした。 宏典は一枚一枚めくりながら、いろんなお話をしてくれました。同年代の子の絵は、宏典にいろいろな刺激を与えてくたようです。
 今もなお、多くの方たちに支えていただいていることをあらためて有り難く思います。 そして、ヒィジカルセラピーがドクターから義務づけられていましたが運動機能が著しく回復してきたということで義務づけがなくなりました。 嬉しい進歩です。 (ご両親からの報告)

平成19年4月27日
 やっとこちらも暖かい日が続くようになり、外来で通院した時には病院の中庭で過ごしたり、アパートからセントラルパークが近いので、 散歩にでかけたりできるようになりました。 お外にでるのは、大好きで芝生の上をうれしそうに歩きます。
 小枝をふんでパキンッと割れる音が楽しくて何度もふんでは、笑ったり、 たんぽぽの花をみつけては摘み、 ベビーカーにのせてアパートに持ってかえって、自分で水につけてかざったり、 いろんな感覚を楽しんでいるようです。歩く運動も、自然と促されるようで、よいリハビリになっています。 アパートでは、塗り絵をしたり、恐竜のお人形で戦いごっこをしたり、 ボランティアできてくださる、お兄さんお姉さんによく遊んでいただいています。 おかげで、ドクターもびっくりされているほど、身体機能が回復しました。 ありがたいことです。
 そして、先日、宏典と同じ日に移植を受けて亡くなってしまった男の子お母さんから、手紙と彼の写真が届きました。 内容は、「彼のために折った千羽鶴をみるたびに彼のことと宏典のことを思っている。 宏典の幸せを願っています。」というものでした。
 彼とそのあ母さんのことは私の胸にも深く深く刻み込まれています 。 ドナーの子の命とともに宏典の命を見つめるたび、彼と彼のお母さんのことを思い起こすことでしょう。 (ご両親からの報告)

平成19年4月13日
 今日のニューヨークは、朝から雨が降っています大都会の雨なので 雨があたった窓ガラスは沢山のちりを残し、汚くなってしまっています。 花粉もはいっているのかな。
 退院して一週間ちょっと。ようやく生活も落ち着いてきました。 宏典も調子が良く、毎日よく遊び、よく笑い、よく食べています。
 時々、わけのわからないじら泣きをしますが、多分薬の副作用から来る気分のむらのマイナスの部分がまとまってくるのでしょう。 これがはじまると30分は激しく泣け続けるので、こちらもはじまると「来た!」って感じで腹をくくります。 遊びもだんだん激しくなっていて、恐竜のおもちゃでの戦いごっこにはまっています。
 もしかしたら、三人の中で一番活発な子なのかもしれません。(ご両親からの報告)

ひろくんが退院しました。

平成19年4月6日
退院したひろくん  術後三回目のカテーテル検査をおえ、腹水も落ち着き経過良好ということで4月3日に念願の退院をすることができました。
 これからは週二回病院に通院し経過をみていきます。病院を出たことが宏典は嬉しくてしょうがないようで、アパートに移って からずっとご機嫌さんで大きな声が出して、ぬいぐるみで遊んだり、ローテーブルにつかまって歩く練習をしています。 病院のフィジカルセラピストとのトレーニングはあんなに拒否していたのに。 そして本当によく話し笑うようになりました。
 まだまだ拒絶との闘いはありますが一歩一歩我が家に帰る日に向かって歩いていることを実感しています。
 これからは食事のための買い物や通院のために交通機関を利用したり異国での新しい生活のはじまりです。(ご両親からの報告)

ひろくんが心臓移植を受けました。

平成19年3月28日
 拒絶の兆候がみられるということで29日から3日間免疫抑制剤を飲み薬から点滴に変えました。
 その後、からだがパンパンにむくんでしまいました。 まだ染みでていた腹水もかなり増え、またお腹が大きくなってしまいました。
 日曜日から熱もでてしまい、 退院の話もでていたのですが、保留になってしまいました。
 ここまで順調にきていたのにガタンと調子を崩し、 さすがに心配していましたが、今日やっと熱もでなくなり、体にたまった水もひけてきました。 ドクターの話では、新しい心臓に問題はなく臓器も順調に回復しているため、 後は、まだ染みでてしまう腹水のコントロールが課題ということでした。
 今日は、機嫌もよく、外も暖かいので中庭に出てみたら、桜の花が咲いていました。  思わず嬉しくなり、宏典と木の肌に触ったり、花びらに触ったり、その触感を楽しみました。 春うららかな1日でした。(ご両親からの報告)

平成19年3月21日
元気になっているひろくん  今日は入院している子供たちのためにバレエ団の方たちの公演がエントランスでありました。 宏典も許可をもらい、見に行きました。
 ライオンや馬やいろいろな動物役が登場し、宏典も大喜びでした。 最近、機能回復訓練の時間が憂鬱で今日も大泣きし、 少し元気がなかったのでいい気分転換になったようです。 部屋に帰ってきてからも、ずっとご機嫌で、 こうした楽しい時間を増やせていけるともっともっと笑顔を取り戻せるなぁと感じています。
 宏典の頭にまだまだ消えないつらかった記憶や 毎日の採血や様々な検査からくるストレスを今は早く取り除いてやりたいと思います。
 今日も生きることへの感謝いっぱいの1日でした。(ご両親からの報告)




平成19年3月15日
トレーニング中のひろくん  術後20日が経過しました。第2の関門、術後二週間を無事こえ、今は大量の薬の副作用で少し不安定なのと腹水がまだ染み出し ていてその調整にもう少し時間を要しそうです。
 歩く練習や体の機能回復のためフィジカルセラピストとのトレーニングを毎日していますが宏典にとってはなかなかハードな 時間で泣きながら頑張っています。親としては楽しい時間にしてほしいのですがこのトレーニングがとても重要なのだそうです。 宏典には歩けるようになったら帰れるからねと励ましています。
 頑張ろうとしてくれるのですが低下した機能を 取り戻すのはなかなか至難の業です。看護婦さんやドクターに手をふったり握手したりできるようになり、 嫌いだったカメラにも目線を向けてくれるようになりました。 (ご両親からの報告)



平成19年3月9日
 カテーテルの結果心筋からは拒絶反応はみられなかったとの報告です。ただ一回目になくても二回目でてきたりするので 理解しておくことということでした。 ともあれ嬉しい結果です。
 それから今日はハートトゥハートのメンバーでバイオリンをする子がきて宏典に大きなのっぽの古時計をひいてくれました。
 はじめじっと聞いていた宏典はうたをくちずさみじめ、その後みなさんの前でたくさん歌い、 続いて仮面ライダーの本でお兄さんやお姉さんたちとたくさんおしゃべりをしばあばと私はびっくりでした。  昨日までなかなか笑顔がでず医師からは体がきついというよりは 今までたえてきた怒りがあり長期の子供はなりがちという話を聞かされていたので今日は美しい音楽の力に感謝です。
 今までのストレス、怒りを吸い取ってもらったように笑顔とおしゃべりがわきだしました。 今の宏典は自分の病気が治ったということを理解して本当に嬉しそうです。 そばにいるこっちにまで喜びが伝わってきて今まで本当につらかったんだなってあらためて思います。 ありがたい時間がながれています。 (ご両親からの報告)

平成19年3月3日
 術後8日目を迎えています。
 宏典につながれていた沢山のチューブは徐々にとれ今は足にさした点滴のルートひとつとなり随分すっきりしました。 体重も術前13キロあったのが10キロになり大きかったお腹は出産後のお腹のようにやわらかく伸びていた皮がゆるんで プニョプニョしています。最高17キロ(とんでもない腹水の量)まであったことを考えると宏典の深刻さをあらためて感じます。 宏典の状態は今のところ大きな拒絶はなく、かなり心配されていた各臓器も順調に回復してきています。
 先日その心配はかなり深刻だったと医師から聞かされ、やはり応援してくださっている皆さんの祈りのパワーに守られた 奇跡を疑わずにはおられません。

 先日父親と嬉しい再会を果たし一昨日昨日と大好きな歌が唄えました。
 呼吸がきつくてもう何ヶ月も唄えていなかった歌です。大好きな「大きなのっぽの古時計」を歌い、 その姿に夫婦は移植医療の素晴らしさと喜びに心ふるえました。
 まだまだ気を抜くことはできませんが今までとは全く違う時間の流れを過ごしています。感謝感謝の毎日です。 (ご両親からの報告)

平成19年2月28日
 宏典今日沢山の管がぬけました。
 かなり楽になったみたいです。お腹の周りもスッキリ。手術前は苦しくて睡眠時間も2時間でした。 今まで寝れなかった分今日はぐっすり寝ています。肺・肝臓の他の臓器に異常はありませでした。
 明日はICUを出て一般の病棟に移る予定です。 宏典手術後は果物だけ食べてましたが、雰囲気も手伝ってかピザを食べました。結構宏典にしては食べましたよ。 まだまだ拒絶が怖いですが一安心です。(ご両親からの報告)


ひろくんの手術経過

平成19年2月24日(日本時間深夜)
 今宏典手術室にはいりました。本人は心臓を替える事・寝てさめたら元気になる事を理解して入りました。 熱があるのが心配ですが・先生が強く状態の良い心臓だからとおっしゃいました。
 あと1時間位で手術開始です。
 今から宏典の心臓摘出・エクモ取り付け・移植となります。


 みなさんご心配おかけしています。宏典は予定時間三時間をかなりこえていますがまだかえってきません。
でもきっと大丈夫。みなさんの祈りと宏典の強さが宏典を守っているはず。きっともうすぐかえってきます。
 もうひとつ今信じられない知らせが入ってきました。宏典がカテーテル検査をした日に エクモをつけた赤ちゃんも今ドナーがみつかったと連絡がはいったそうです。
お互い励ましあっていただけに今涙でだきあって喜びをわかちあってきたところです。

 こんな素晴らしいことがあるのでしょうか。
2人は今日新しいもうひとつの誕生日を共に迎えたのです。
エクモのお母さんが千羽鶴をおったことから病院スタッフは日本の千羽鶴の起こした奇跡のようにいっています。
 あとは宏典が無事かえってきてくれることだけです。


 宏典病室に戻りました。手術室入室から時間がかかったのは、少し心臓が遅れたことと、 万全をきされためだそうです。
 心配していた肺の圧もいいみたいです。今のところ順調です。
 この2日間が山です。


 長い1日が終わろうとしています。宏典は今のところすべていい状態を保っています。気管支挿管されからだからは たくさんの管がでていて その姿は痛々しいけれど宏典の新しい心臓は確かに力強く拍動しています。

 亡くなろうとしている命から体の中の一部んをいただき命を紡ぐという目の前におきている現実にただただ感動と感謝です。 まだまだ予断をゆるさない宏典ですが今日は素直にもうひとつできた宏典の誕生日を祝い、 そしてドナーの方のご冥福を心から祈り、 悲しみの中にドナーを申しでてくださったご両親に深く感謝するとともに 宏典はこれからその子のぶんまで幸せにならなくてはと強く思います。
 私は三人の母親から目には見えないけど4人の母親になりました。 (ご両親からのご報告)

井川選手、松井選手からの応援

平成19年2月20日
井川選手と松井選手からサインいりのボール、ユニフォームが手術前に届きました。
ひろくんの手術成功を祈って送っていただいたものです。ありがとうございました。
お二人には無事に手術成功の連絡をさせていただきました。

ユニフォーム姿のひろくん 送っていただいたユニフォームなど

平成19年2月17日
病室にて、ひろくん  眠っている間に入れている栄養分で水分摂取量がふえたため、水分量の調節がうまくいかなくなりました。
 腹水が増えきつい日が続いてましたが、やっと調整ができてきて今日は調子がよくなりました。 首からの管もなくなり腕の管も今はとれて辛いのは毎朝の採血くらいになってきました。
 最近宏典は採血を観念しているのか「お茶とタオルを用意して!」といって涙をふいてもらう準備と終わって 一息つくためのお茶を用意させて頑張るようになりました。
 毎日とるので手はたくさんの内出血で黒くなっています。
 私はいつも顔で笑いかけて心の中で「宏典!頑張れ?!」と精一杯エールを送っています。 最近の宏典はなかなかの頑張り屋さん です。
 今日ICUで千羽鶴を紹介したお母さんが「やっと千羽鶴ができたの!あなたにみせたくて」と 朝一番にみせにきてくれました。感動でした。
 彼女の我が子への強いおもいに触れ、同じ苦しみをもつ親として言葉は あまり通じなくてもそのおもいをお互い理解し励ましあえる存在として彼女の闘う姿は私を力づけています。 (ご両親からの近況報告より)

平成19年2月8日
 こちらにきて17日目が終わろうとしています。
 毎日が濃いのでもう何ヶ月かいるような気分です。
 宏典の痙攣はある薬があわなかったようでその薬をやめると痙攣もなくなりました。 少しほっとしていると二度目の腹水をぬくための処置がはいり朝4時から13時半まで絶飲食で大変でした。 こちらでは検査でも処置でも時間がアバウトなので大抵は時間が伸びて1、2時間は簡単にずれこみ、 絶飲食の指示がでたりすると大変です。この時は長い時間よく頑張りました。
 昨夜から体力をつけるために鼻からチューブをいれ高カロリーの栄養をいれることになりました。 ただこのチューブも二時間くらい嘔吐がついてしまいなかなか眠りにつくことができませんでした。
 いろいろな波がまだまだ宏典をゆさぶります。元気になるための試練だと思ってがんばっています。 (ご両親からの近況報告より)

平成19年2月1日
 今日は朝雪がうっすら積もっていました。日本はどうかなぁと思いながら窓から雪を眺めました。
 昨夜は、宏典は痙攣を起こしてしまい心臓からだったらどうしようかと不安になりましたがどうも利尿剤や 腹水をぬく処置をしているので体内の電解質のバランスが崩れてのことだったようです。
 命にかかわるようなことではないらしく減少してしまったものを点滴から足したら大丈夫だそうです。
 ほっとしていたら痙攣も一応検査が必要らしくうんざりするくらいの検査が一段落していたのもつかの間また検査が 入ってしまいました。宏典はまだまだこちらの看護士さんになかなか慣れられないのでソフトにゆっくり接して欲しいと お願いしていますが突然の処置には言葉の壁が大きく宏典の気持ちをくみながらの処置は難しく激しく泣くこと (宏典にとっては一番きつい運動)が何度かありやはり少し疲れ気味です。
 日本の病院にいたときの甘えは許されないので母子ともにがんばらなくてはなりません。 (ご両親からの近況報告より)

平成19年1月29日
 この病院にきて五回目の朝を迎えています。
 宏典もきつい検査も終わりだいぶ落ち着いてきました。
 ただ時差ぼけもあるのか夜は一時間ごとにおきてごはんというので付き添う側は連夜の寝不足です。
 食べることはよいことなので頑張っています。手術に向けて体力をつけなくてはいけないのでできるだけ栄養をとらなくてはなりません。 ハイカロリードリンクに挑戦中です。お話しができるようになってきました。 (ご両親からの近況報告より)

平成19年1月27日
長時間の検査を受けているひろくん  宏典はカテーテルの検査中です。こちらのドクターの予想以上悪化していたため、 検査自体かなりのハイリスクとなり厳しい話もたくさんされています。
でも宏典は強い子!そしてみなさんの祈りがある。今日宏典に検査室で眠るまで付き添いましたが とてもおだやかな気持ちで彼が眠るまで笑顔をむけてあげることができました。
 今朝の宏典は大きな窓からみえるマンハッタンの街に朝日がとても美しくのぼるのをきれいな色といってみたり、 たくさん飛び立っていく飛行機をうれしそうにみたり、 ここにきて一番リラックスした時間を過ごしました。処置の準備がはじまるといつもは不安で泣き出すのに私の説明を よく理解してくれていたのか、 泣かず騒がず検査室までベッドにのせられいきました。
 沢山のドクターに頭をなでられその顔は、
   「僕の覚悟はできてるよ。早くして終わってちょうだい。」
といっているようで我が息子ながら本当に誇らしく思いました。
 彼はきっとこの高い高いハードルも乗り越えて私の元に帰ってきてくれると強く信じています。日本から宏典にみなさ んのパワーを送り続けてください。絶対元気になって連れて帰ります。 (ご両親からの近況報告より)

平成19年1月23日
 宏典は済生会からニューヨークのコロンビア子供病院まで一回も泣かずに来ることができました。
 初めての治療が始まりました。大変疲れているのに容赦ない検査。親や医師団の方がもうやめてと言ったぐら い、検査がありました。
 20時間かけてやって来て、全員時差ボケで参っています。
 すべてにおいて日本では考えられない病院のシステム。また、どんどんドクターがやってくる。ということに戸惑いをかくせません。 2〜3日後に疲れがどっとやって来るのがとても怖いです。
 11時に着いて20時までの休みのない検査に親2人は耐えられなく、涙がやはりでてしまいました。
(以上、ご両親から近況報告より)

平成19年1月24
 ニューヨーク2日目まだまだ慣れません。明日の検査が大変危険を伴う検査です。いつもの事ですが、 最悪の場合の事も説明され、サインしました。でも、私たちと皆さんの思いがきっと彼を救うはずです。明日 の検査が無事に終われば、宏典は、移植者のリストで上位になります。皆さん無事検査が終わるように、 祈ってください。
(以上、ご両親から近況報告)

平成19年1月15日
 3度目の腹水を抜く処置をしています。
 おなかに針を刺す時はさすがに大泣きになりましたがその後の毎朝少しずつ抜く際は 泣かずに処置してもらえるようになってきました。
顔をしかめながらも我慢できるようになったので処置の後のダメージが 少なく、しばらく休むとテレビをみたりおやつを食べれたりしています。腹水がへり、楽になって来たので渡米にむけて心準備 させるために飛行機やヘリコプターに乗る話をしています。

平成19年1月6日
 二度目の腹水を徐々にぬく処置をしていましたがまた熱がでてしまい、抜くのやめて念のため抗生剤をいれています。
なかなか思うようにいかないものです。
本人は抜きはじめてやはりしばらくきつい日が続いていましたがお腹の管をぬいたのと二日続けて大好きな父親が来てくれたのとで元気が出て来たようです。
首のささえなしに座れなかったのですが支えがいらなくなってきました。
おしゃべりも少し戻ってきました。今お見舞いにいただいたお気に入りの本も「読んで」というので読んでやったところです。

平成18年12月31日
 現在のひろくんはとても頑張っています。
 現在、ひろくんは心房圧、静脈圧が非常に高くなっており、静脈うっ血に伴い、著しい肝臓腫大、腹水を認めています。
 肝臓に関しては、肝うっ血のため肝機能の低下しています。これ以上肝機能低下が進行して、肝不全状態になると、心臓移植そのものができなくなってしまいます。
 腹水は、腹水がないときで体重10kg程度だったものが、現在最大17kgまで上昇しています。腹水を抜く治療も試みていますが、一度に多く抜くと循環状態を悪化させるため少量ずつしか抜くことができません。腹水のため横隔膜(呼吸運動する筋肉)が挙上し、呼吸数も普通30/分程度のものが、50から60/分と呼吸も苦しくなっています。
 食事は少量ずつ可能ですが、ベッド上安静です。寝たきりという状態ではないですが、少し泣いただけで心不全が増悪し、ぐったりしてしまう状態です。
(以上、お医者さまからのお話です。)

平成18年12月28日
 今日腹水が少しふえたので、腹水を抜く治療をしました。 おなかの処置もおわりました。たくさん涙が出ましたがひろくんは頑張りました。今日は疲れて横になっています。血液検査も肝機能が正常範囲に戻り安心しています。ただアルブミン(たんぱく質)が低く点滴からアルブミンもいれる必要があります。

平成18年12月11日
 腹水がたまりすぎて呼吸がきつくなったことからおなかに針をさして抜く処 置をしました。ふつうは一度に全部抜いてしまうのですがひろくんは体内の圧が急に 変わると循環が落ちる可能性があるので徐々に抜くため管をさしたままにして、 腹水を徐々に抜いています。1リットルちょっと抜いて呼吸が随分楽になってきま た。しかし、本人は腹水を抜くために我慢する時間が長くかかり、頭の血流も一時的にさがるため か意識がなくなるのが苦痛らしく処置のときはしかめっつらで目から涙がこぼれ ます。ひろくんは今一生懸命頑張っているところです。

平成18年12月6日
 検査後2、3日は循環がさがりました。(検査等で刺激や泣く運動負荷がかかるといつもこうなります)
食事は少ない量ですが、なんとか口にすることができ、少しずつ元気が戻って来ました。

平成18年12月5日
 移植のための検査をするため眠らされ検査室にはいりましたが心臓内科の先生方3人でエコーをみながらセッションされかなり高いリ スクをおかしてまでその処置をしてもそれほどの効果は期待できないという判断 から処置は中止となりました。ただ眠らせる薬との相性が悪く、夜遅くまで嘔吐に 苦しみました。夜中にやっとおさまりご飯を食べられるようになりました。

 現在ひろくんは重度の心不全により、腹水が相当貯留しています。一刻も早い移植手術を必要としています。


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